してよいかということがきめられてありますなかに、女というものは裏返しになってそこに現われているわけであります。それから刑法はどうかといえば、民法とは逆に女を一人前として取扱っております。たとえば先だって子供を電車のなかで押し潰されたお母さんの話などは、あれは民法と刑法の裏返しのひどい例を説明いたします。このなかにたくさん奥さんもいらっしゃると思いますけれども、そういう方達は御自分が無能力だと思っていらっしゃらないし間違いとも思っていらっしゃらない。ところが民法では無能力であっても、もしあなた方が間違えていろいろな失敗をしてそれが刑法にふれますと、たちまち能力者になって、罰金をうけるのはもちろんのこと、ことによると牢屋に放り込まれて、いろいろな目におあいになることがよくあるのです。女の人が不幸になる条件を少くする筈の民法では半人前なのですけれども、不幸になってしまった結果に対しては、男並みの十分の責任を婦人は負わされております。そういう矛盾が民法とか憲法にございます。それから只今選挙がありますけれども、私達には公民権がない。だから私達はいろいろな行政機関のなかに役人として入ることができない。婦人がそこの機構のなかに入って働きますならば、配給の問題とか食糧の問題とかだいぶ実際的でよろしいのでしょうけれども、そういう役人になるための公民権はございません。
それから今までの日本は半分近代化して半分はまだ封建的な気分が非常に強く残っております。それは言葉で申しますと、華族とか士家とかいうのはやかましい規定では身分なんですけれども、家庭のなかでも、同じお魚でもお父さんや何かにはお頭のよい方を差上げる。お魚の目玉にはビタミンAがありませんけれども、頭の方には栄養があるのかも知れません。とにかくお頭という意味で家のお頭に差上げるのでしょう。ビタミンが多いから差上げるという親切からでなく形式で差上げる。お頭にはお頭を差上げて、切身の尻尾の方は主婦がもらう。ところがこの頃のように尻尾のない場合もある。そうすると女の人は一切も食わずにがまんする。それを皆さんはお笑いになるから、恐らくあなた方の御家庭では、切身が三つしかないものでも半分ずつつけて召上っていらっしゃるのかと思います。それは大へん結構だと思いますけれども、よく女の方が一軒の家庭の話をなさいますと、「一切のお魚しかないものなら
前へ
次へ
全16ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング