のですから、人間がこれまで生きて参りました歴史などは、もちろん私共の幸福のために使えるものでありますし、またいわば歴史そのものが人間がどういうように幸福に生きようかと努力して参りましたその足跡なのです。今日、民主主義とかいろいろなことが申されておりますけれども、私共は何しろお互い様にこの五ヵ月ほど前には、見ざる、言わざる、聞かざるででくの坊になって暮していたのです。ですから急に何でもいってよいということにもなり、また同時に自分達の責任をもって行動しろというようなことをいわれます。差当ってこの一票というものを私共はどういう風に使うかという問題さえ起ってきておりますが、急に寝ているところを起されたようなものでございますから、考えていることはもちろんあるのです、わかっている筈のことはたくさんございます。だけれども何だかそこが痺れたみたいで、うまく急に活動できにくいような気分があるわけです。だから婦人民主クラブのようなところでは、だんだん長い間にゆっくりとみなが成長して参りますために、しっかりした足どりで自分達の生活を建設できるために、みながより集まってやってゆこうとするところですから、性急に何をどうしようという必要もないでしょうけれども、しかしたとえば民主主義と申しましてもどうもよくわからない、封建的と申しましてもよくわからないということもあると思います。それで私は今日はごく簡単ですけれども、三つの歴史、私共の生活のなかにある三つの日本の段階というようなものを簡単に申上げてみたいと思います。
まず日本は大へんに封建的な社会であったというようにいわれております。新聞でも何でもたくさんいわれておりますし、あなた方御自身も「それは封建的だわ」というようにおっしゃる。その封建的と申しますのは、ではどういう社会が封建的なのであるか、それを考えてみますと、封建的な社会と申しますのはいつも殿様と家来というものがあったわけです。それから土地と農民との関係では、大きな地主が土地をもっていて、そこで働く農民はみなその土地を借りて小作して、そして領主や地主に納めるものは現物であったのです。つまりお米とか麦とか、いろいろの野菜とか、鶏とか卵とか、或はお餅でもよいし人蔘でもよいのですが、そういう現物をすべて納めていた。そういう関係をもっているのが封建的な土地と農民の関係でございます。それから社会
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