である。そして、人生のある程度の経験から幸福について話すように一座に招かれた男女たちも、いつしか、幸福という二つの文字を互の間にやりとりしながら、目に見えないものを見えるように示そうと努力しながらついに大抵の場合不成功に終っている。幸福というものが、あっちからこっちからつつかれ、吟味され、論議されていることはまざまざとうけとれるが、さて幸福の愛らしく全い姿はどこにも描き出されていないことが多い。語る人々もいつの間にやら、幸福の二字が身のまわりにもち来っている観念の妖術にかかってしまうことが多い。第三者は、それらの検討や分析やらを見て、ああ何と熱心にいじられている事だろう! けれども、ここに幸福の輝きは溢れていないと、更に一層ゆくえさだかならぬ自身の幸福への模索に踏み出すのである。
人間の文明がおさなければおさないほど、自然界と人間社会とのできごとを、単純な観念で固定させて来たことは、今日までの歴史に面白く伝えられている。たとえば中世の人間は地球はひらったい台のようなもので、その両端には地獄があると考えていた。地獄へおちる恐怖という宗教からの恐怖と、科学の未発達からおこった未知の世界へ
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