られる。芸術家は現実を見とおすことで、現実のあれこれに動かされつつなおそれに追いまくられず、それを人間の多種多様な生の姿として精神のうちに統率する力をもっている。そのような現実の只中に真直に立っている精神の力が、悲劇のうちにもそれが人間生活の真実に迫ったものであるところからの美と、何ともいえない感銘をとらえて再現して来るのである。
 どんな人でも、たとえば「アンナ・カレーニナ」の世界に抵抗して、これは幸福をかいていないからいやだというようなことはしない、と思われる。アンナの悲しい生涯の最後のピリオドまでついて行くと思う。即ち一人の女の生の過程をともにたどるわけで、一番しまいに、ああと巻を閉じたとき、やがてまたもう一遍パラパラと頁をめくりかえさずにはいられない感動が心に鳴っているとき、アンナを通して印象された悲劇のなかにも輝く美の感じが、幸福と呼びならわされている感覚に通じる性質のものであることを感じとらないとすれば、随分残念なことだと思う。
 文学は筋をよむものでもないはずといったわけは、ここのところにこそかかっている。文学のすぐれた作品こそ、悲劇の感動のうちにもなお美や慰めをこめてい
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