る自身の生活の力で、私たちに幸福の最高のありようの典型を示している。人間生活のある場面では、低い形での幸福の外見が破壊されても、その過程の人間生活としての意味がはっきりそのひとの精神に統率されているときには、そこに一つの美としての幸福感が脈動していることもあり得ることを示しているのである。
幸福感というものの高い質は、主我的な飽満の感覚、満喫感と同じでないというのも面白い事実である。むしろ美の感覚を通じたものであることは、尽きぬ暗示をふくんでいると思う。美が固定した静的なものでなければならないという今日の若い女のひとはすくないであろう。美において動きと対照と破調と統一とを理解している心情が、幸福という言葉を、そのいきいきとして積極的なはずの美の感覚でとらえる力をもっていないとすれば、そこにはどういう日本の女の生活的な未熟さが語られているのであろう。[#地付き]〔一九四〇年八月〕
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:「婦人画報」
1940(昭和15)年8月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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