ひろくゆたかな雄々しい心情がなければならないというのは、何と興味ある点だろう。
つよくよろこぶ心、つよく悲しむ心、つよく憤ることのできる心、そういう心は豊かな心である。そういう心は幸福感もつよく感じるが、その幸福感のそこなわれる感じもきつく受けるであろう。真のゆたかにつよい心は、自分のよろこびの感情も、悲しみの感情も、悲しみは幸福でない感情の面だからいやだときりすてず、そのよろこびをかみしめて味い、悲しみをかみしめて心に味うことから、やがて、自分の心がよろこび悲しむ人間生活のさまざまのいきさつの面白さを理解するところにまで到達する。
代々の人間がそれぞれの時代の環境の中で、常によりましな生活を求めて生きていて、その過程で敗北し、成就し、自分もそのうちにまぎれもない一人であるということの避けがたい辛さとともにある否定できない面白さ。幸福というものが、案外にも活気横溢したもので、たとえて見れば船の舳が濤をしのいで前進してゆく、そのときの困難ではあるが快さに似たものだといったら昼寝の仔猫のような姿を幸福に与えようとしている人たちは非常にびっくりするだろうか。
人生に何か一定の態度をもって生きている人たちが、幸福をどこかでしっかり感得しているように見えるのは、以上のような理由によるのだと思われる。現代の生活は複雑で、幸福もそれをこわす条件も四方八方のつながりのうちに生かされて変化を受けつつあるのだから、今日私たちが、現実の前で膝をついた形でなく、現実の上に美しく健気に立った形としての幸福を獲ようとすれば、自分の生まれ合わせた社会と自分とについてのきわめて広い明晰な把握がなくてはならなくなって来ている。自分たちの不幸を底まで理解して、それを堅忍し、克服してゆく気魄がなければ、幸福感を味うことができにくい時代に来ているのである。破壊の行われているときにもやはり人類の幸福のために続けられている努力があって、それはどこにどんなに行われているかということを見きわめる力が求められて来ているのである。
若い女のひとは、どっさりいろいろの文学作品を読んでいる。彼女たちは、どんな風に文学を読むのであろうか。女のひとが、特に幸福というものを何か波瀾のそとのもの、悲しみの外のものと固定させた形で追求していることについて疑問が生じたとき、私の心にひきつづいて起った問いはそれであった。女のひ
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