本屋かと申しますと、軍や何かに引掛りがあって、終戦のどさくさに、ちょろまかした紙を持っている人達なのであります。
そうすると、公平にみまして、本が出せるということは、誰にでも出来ることではないのです。やっぱりモラトリアムになっても、困らない者は困らないというのと同じことであります。
政治というと、何か議論めかして、各政党の立会演説をするのが政治のようにおもわれますが、そうではなく、私たちの毎日の生活のなかに問題があるのであって、その問題を解決してゆくのが、政治なのであります。
私は社会のために、廉い本を作りたいとおもうのです。自分は儲けようなどとおもっていません。印刷する職工さんによくしなければならないし、いろいろの事情から紙がない。又公定賃金では製本もなかなか出来ない。どうしても作って行こうとすると、高い本しか出来ないようになっているのです。こういう文化的のことは、政治とはちょっと関係がないようなことであるけれど、はっきり、いまの社会の経済問題、政治の問題というものと結びついているのです。
みなさんが、今日お集りになったのは、おそらく、このような政治の話を聴きに来たのではないでしょう。映画を見たい。それからすこしは文化的な話も聴きたい。そういうお気持でいらっしゃったのだとおもいます。私たちの文化的な希望というものは、今日のような破綻を来たしている社会のなかでは、みたされない。ですから、そういう問題をどう解決すればよいかといえば、私たちは、屋根から雨が漏ってまいりましたときには慌ててバケツを持って来て雨を受けます。そして、お天気になりましたら、自分たちの手で、屋根にトタンなどを当てます。こうして、自分自身の力で、切り拓いて行かねばならないわけです。
もうすこし、働いて生きて行くということを、人間の値打を美しく、この世に咲かせるように、みんなで協力して、切り拓いて行かねばならないと、痛切に考えるのであります。
私たちは女でございますけれども、男に脅かされるようにして生きてゆきたくはない。伸び伸びと何者も恐れることはなく、自分の力をもって生きて行かなければならないのであります。ですから、みなさんも、さきほどから、いろいろと纏らない話をお聴きになっていらっしゃいますけれども、幸福に生きたい、という希望があるならば、まだ咲かない幸福の希望という花の蕾があるならば、暖い日射しを当てて、美しく、立派に咲くように、非常に聰明に、実際的に、なんと申しますか、女のもっているしっかりした足取りで、日常生活と政治とをはっきり結びつけていらっしゃって、解決して行くように、そういうふうな生活態度というようなものが、本当の文化生活であるということを理解していただきたいとおもいます。[#地付き]〔一九四六年五月〕
底本:「宮本百合子全集 第十五巻」新日本出版社
1980(昭和55)年5月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
1952(昭和27)年1月発行
初出:「婦人画報」
1946(昭和21)年5月号
※「婦人画報」五百号記念大会(1946(昭和21)年3月14日、共立講堂)における、講演の速記。
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年6月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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