らいきみたいなことをやった。私は最も重い刑、三日間の絶食と一週間のキンシンをくう。一ヵ月もたたないうちに二週間のキンシンと二ヵ月の外出キンシ。舎カンの目をとおさずに展ラン会へ出品した事。学校当局は何も知らぬ自分を赤だと云われ、それからはじめて赤い本をよむようになった。自分は貧乏人のクセに絵なんぞ書いてるのはモッタイないと思っていると資金がきれ退学。学内に組織はなかった。昭和六年九月(退学後)芝浦の××印刷工場(三百人)に日給一円コウセイヤとしてかよう。当工場にアナ系(自由レンゴー)の組織があって不当カイコに対して専務をテロッて病気させた。加って、二三ヵ月でクビ。失業(十一月ヤップ加盟)
 七年一月 板橋 N食糧工場の加工部。三十銭。中で休ケイ時間要求、賃銀五銭ね上げ 三四回つづけて全員を最低四十五銭、最高七十銭―八十銭に上げる。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから罫仕切り、−−−−で挾まれた部分が一つの仕切り内]
−−
 工場の一部に寺田社長住んでいる[#この行は枠の上に横書き]

 鬼タビ    二二五 女一八三
 陸軍指定工場     男 四二
      {裁断
 1.足袋部{場内(コール天足袋)
      {社交(白タビ)[#3つの「{」は1つに繋がる]
 2.洋服部
 3.出荷発送
 4.事ム所
−−
 初日給 三五銭
 出来高故 夏8.90   平均
       │  │
      冬15. 25.
 三十円以上のは二三人
 男工、最低   五〇
    最高 一、五〇
 臨時日給七〇―一、〇〇
−−
 夏春はスゴイ操短、冬強化一ヵ月五千足
−−
 休日 第一、第三日曜
 正月 三日
 盆  二日間
−−
 休ケイ時間
 朝  一〇時、三時十五分ずつ
 正午 四〇分
−−
 食堂 男女別
 ジム員のは 別製
 湯はあるがチャワンなし。
 テニスコートは事ム員の独占、バスケットボール、ピンポンをやる。
 洗面所一ヵ所ギリ
 昭和二年 K.P.[#「K.P.」は縦中横] と評議会で大ストをやった。
−−
[#ここで罫仕切り終わり]
 新聞配達
  朝夕で 二十五円 平均
  維持料 級増料
 拡張員
  店は まかない 十円―十五円でもうける。

[#ここから3字下げ、折り返して4字下げ]
××製作所2596人[#「2596人」は縦中横]職工だけ。女三六五人
○健康ホケン費 七五、一二八・四円。一ヵ年間にこの七万五千余円がホケン組合に入る。一人当り一ヵ年二八円九四銭
 第十二工場 製カン、鋳物、ガス溶接屋    二〇九名
 第八工場  変圧器製造           六五〇名
 第七工場  直流、交流発電キ 電キ機関車   五〇〇
 第五工場  小型モーター セン風機 家庭器具 四五〇
 第十一工場 製図、営繕
[#ここで字下げ終わり]

[#図1、「工場内の見取り図」]
[#図2、「本館見取り図」]

[#ここから4字下げ、折り返して8字下げ]
十二工場(通称十二番)が最も戦闘的であって、ストのトップを切る。田清、時代、そしきがここにあった。
八番  東京工場からまわった連中でアナ、総同盟に属していた職工が多い。
    全工場中待遇は最悪。それでも立たず。
七番  十五年二十年の勤続、熟練工が多い。
    (大キカイ故)中々まとめ難い。
[#ここで字下げ終わり]
   ○五工  は家庭器具で一 二 三階とも工人密集して働き、年が若く、女が多い。現在1割「××モーター」(単独の五工従業員組合――五工分区)三百名ほどまとまり、十銭の会費完納。一部でヒ行器のエンジン。
──────────────────────────────────
 ◎各工場の建物分離。はじからはじまで三十分もかかる。工場のドアをしめきると、各工場分り出来る。ふだん、他職場へゆくこと禁止。



底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年5月30日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行
初出:「多喜二と百合子 第四号」多喜二・百合子研究会
   1954(昭和29)年6月発行
※原稿用紙の裏表に鉛筆で手書きされたメモ。
※入力にあたっては、文意を明らかにするために、一部、底本の組みを再現しなかった。
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2004年2月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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