月の月謝は四十円である。四十円のためには大の男が一ヵ月間の勤労を代償とさせられるのが今日の現実ではなかろうか。
 世界的な経済恐慌は、この地球の上六分の一を除いたあらゆる国々において、健康で真率な心を持った若い男女を、結婚の問題で苦しめている。結婚年齢のおくれることが一般の傾向となって来たのにたいし、アメリカの百万長者の息子と娘らの間に一つの流行が生じた。何とかいう十九歳の百万長者の息子とこれも同様な大金持の十六歳の娘とがニューヨークで盛大極る結婚式を挙行してセンセーションを捲き起したというのである。愛すこと、結婚生活を営みたく思う心、そして父母とならんとする希望は、然しながら、百万長者の子供らだけが親の株で独占することを許されている天然資源ではないのである。
 話はすこし飛んで、東京日日新聞でこの頃毎日東京ハイキングという特別読物を連載している。社会欄にさしはさまれて、今日などは島崎藤村が昔ながら住う飯倉の街を漫歩して、魚やの××君などと撮した写真をのせている。それぞれに写真にも工夫があって面白く見るのであるが、数日前、女である私の眼に映って心にまで或る痛みをもって焼きついた東京ハイキング中の記事と一枚の写真とがあった。
 説明をすれば、恐らく読者諸君も思い出されることであろう。東京ハイキング第九日、柳原※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子が私娼窟である玉の井へ出かけての記事と筆者の写真とが出ているのであったが、文章はこういう風に始っている。「女には全く用のない玉の井、お蔭様で参観一巡。ここには何百人かしらないが、とても大勢の若い女がうようよしているところ。その女の人達は、まあこんなところで何をしてるんだろう、毎日毎晩。――」「このかいわいお医者は花柳病ばかり。おそらく小児科も産婆も用のないとこなんだろう。こんなかの女は誰も子を生まない。だから天国は遙に遙に遠い青空だ」柳原女史は、「やあ来た来たむこうから」と不幸な女たちの容貌を見て「感情というものをすっかりすりつぶしちゃった」詰らぬ「兎に角目が並んでいて口がくっついて」いる「板みたいな顔」であると描写している。さすがにふっとホロリともして「もしかこの世がさながらの天国であって、生活に誰も屈託がないならばこの板みたいな顔の女たちは運転手の、会社員の、商人の、みんな女房で」世帯をもっているだろうのにと察しもするが、それは忽ち、そうなら「とても昼のうちからあんなにまっしろ白粉塗っちゃいまいもの」という推論に入っている。そして「ここは東京の女のむだ花ばかりが咲くところ!」という結びで文章は終っているのである。
 私はその文章を読み、※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子女史の写真を眺めて、日日の記者は何たる皮肉家であろうと思った。昼間の私娼窟の人気ない軒合いを、立派な毛皮の長襟巻を膝の下まで重げに垂れ、さながら渡御の姿で両手を前に品よく重ねた※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子女史が、自分の正面に向けられたカメラだけを意識してしずしず草履を運んでやって来る。そこがカチリと印画になって納められているのである。女史はそのまま諷刺画ともなるこの自身の写真を如何なる感想で見られたであろうか。更に、ともかく無産政党に属して一旗あげんとした良人宮崎龍介氏は、それを如何に見たであろうか。
「女には全く用のない玉の井」というのは女が私娼を買わないからの意味であろうが、深刻な東北地方の娘地獄の問題も、東京の夥しい失業女工の飢のことも、女には珍しい玉の井参観一巡中、※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子女史の念頭を掠めさえもしなかったように見受けられる。
 私娼の問題は、一朝一夕のセンチメンタリズムでは解決し得ない程複雑な社会的経済的根拠をもっている。※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子女史がもし一人の心敏き母であるならば、不自然な現代社会機構の中に成長する我が息子が、若者になった或る日、何かのはずみにこの不幸不潔な場処へやって来るような場合が起ったら、と或る悲しみと恐怖をもって、花柳病医の看板を見ることはなかったのであろうか。吉原の公娼制度が廃止されることは、健全な結婚の可能性が我々の生きる今日の社会条件の中に増大されたのではなくて、多額納税議員をもその中から出している女郎屋の楼主たちが、昨今の情勢で営業税その他を課せられてまでの経営は不利と認めたからである。

 文芸春秋に、「男性への爆弾」という記事があり、山川菊栄、森田たま、河崎なつの諸名流女史が夫々執筆していられる。河崎なつ氏をのぞいて、他の二人、特に山川菊栄女史の文章は面白い。女史は「先ず手近から」男を観察し、女中の留守には自分の洗ったお茶碗を傍で拭き、得意の庖丁磨きをすることを恒例とする良人、労農派の総帥山川均氏をはじめ、親類の男の誰彼が特殊な事情でそれぞれ女のする家のことをもよくするということで、すべての男性というものを気よくその中へ帰納してしまい、最後に到って飄逸たらんと試みられたものか茶気満々な文体で「たしかに女は家庭の女王である。さればこそ」「女王は女王らしく泰然として一家に君臨し、悠然として(主人とか子供とかいう家庭の人民階級に)奉仕されているのこそ身分柄定められた掟でもあり云々」と「繊手に爆弾をとりあげては見たものの」投げる対手はないことになって「時津風枝も鳴らさぬ平和主義」の主観的女権尊崇の栄光を讚していられる。
 私が感想を刺戟されたのは、この文章で山川菊栄ともある婦人が、問題を個人的な自分を中心としての身辺観察の中にだけ畳みこんでみずから怪しまれない点であった。柳原※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子氏の玉の井ハイキング記に連関してその文章が私の心に浮ぶのも、社会の現実を見る見かたに二人共通な個人的な、どちらかというと自足的な匂いが強くあるからであろうと思われる。
 柳原※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子氏は何のために伊藤伝右衛門の赤銅御殿をすてたのであったろうか。歌集『几帳のかげ』に盛られた女の憤りはどういうものであったのであろうか。宮崎龍介の妻として納り、今日その日その日をどうやら外見上平穏に過しておられるようになってしまえば、愛のない性的交渉を強制される点では伝ネムの妻であった彼女の場合より比較にならぬ惨苦につき入れられている貧困な、無力無智な女の群に対し、「女には全く用のない」と云いすてても、それですむものなのであろうか。
 男に向って女から投げる爆弾にしろ、よかれあしかれ夫婦仲よく同じ軌道に生活している場合、個人の問題に切りちぢめてその良人などを対手とすれば、山川氏の繊手は元よりとり上げる爆弾を必要とさえしないであろう。私は往年山川女史が何かの論文で、現代の社会機構においてどのように婦人が大衆的抑圧を蒙っているかという事実をあげ、一般の男の気持の中にのこっている女に対する封建的な感情の歴史的根源をついておられたこともあった時代を思い出すのである。
 男性への爆弾という『文芸春秋』の課題を、山川氏が男を女からやっつけるという風にだけ理解されたところに興味津々たるものがある。男性への爆弾というとき、我々若きジェネレーションは、女から女独特の爆発力を加えて装填した爆弾を男に只ぶつけるのではなくて、男にそれを確かと受とめさせ、とって直して、男と女との踵に重い今日の社会的|羈絆《きはん》から諸共に解放されようとする、その役に立てるものの意味として理解するのである。[#地付き]〔一九三五年三月〕



底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:「社会評論」
   1935(昭和10)年3月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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