る関係を語っている。而も、一旦生まれた以上、我々は出生に絡むあらゆる社会的偶然と必然とを終生何かの形で荷なって、生きて行かざるを得ない。子供から大人になりかかって、漸々自分というものを考える力がついた時、何故自分は生まれたのであろう。そして何の為に生れたのであろうかと或る昏迷をもって考えたのは、恐らく私一人ではなかったであろうと思う。
ところが、生活は活々と積極的なものであって、我々は決して生まれ[#「生まれ」に傍点]ただけでは終らず、やがて生む者として社会関係の中にあみこまれて来る。今や、生むものとして、我々は自分が計らずも生まれ[#「生まれ」に傍点]、その矛盾によって苦しむ社会的環境を、より合理的な方向に推しすすめてゆこうとするやみ難い情熱を抱いているのである。
男装の麗人富美子というひとの生理的欠陥云々について医学的記述は示されていないから私達はそれについて謂わば何も知らないに等しいが、暗示されている言葉によって想像されるような不幸な性的混錯、或は錯倒であると仮定して、私はやはりその生物学的な不幸事をも生む者と生れるものとの関係、その関係に対する真面目な社会通念への刺衝として
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