に着た。ターキーは、もっと明るくて健康であり、若い娘の扮する男役の効果については、彼女自身が自覚するより先にぬけ目ない興行者が知っていたのであったろう。男のような、それで実は若い女であることが若い娘に安心して熱中出来るゆとりを与えることは明瞭である。私の知っている或る家庭では、主人が放蕩で家にかえらぬ淋しい夜、そのひとの妻と年頃の娘とがうちつれ立ってレビュー見物に出かけ、レビューガールを家へつれてかえって賑やかに楽しんでいる事実がある。奥様とお嬢様はどちらへ? 松竹のレビューへお出になりました。これは罪のない返答をなすのである。
近頃小学校は共学が多くなったけれども、中等学校で共学なのは文化学院ぐらいなものではなかろうか。映画は若い男と女との奔放な交渉を映し出して女学生時代の娘の感受性ばかり鋭い情感を刺戟する。学校は、今の社会の風潮が浮薄であるということだけを強調して、その社会的根源を究明しようとする力は持たず、表面的にそのような世相を反撥して地味な制服を着ろとか、家事を見習えとか云い、仏英和女学校などでは女学生のスカートの長さが規定どおりか否かを一々物尺で計って教師が調べる有様である。男の子とのつき合いは、小市民の家庭の中で娘たちが映画で見ているように音楽的に又流動的には行われ得ない実状に在る。日本の封建性は、我々の日常生活を案外に重くしめつけているのである。男の子との自然で暢《の》び暢びした交渉が行われれば晴れやかに放散される筈の感情が、周囲の事情によって我知らず偽善的に鬱屈して妙に同性愛的傾向をとるのであろう。或る場合、この心理的動機は当事者である娘たちに自覚されていないことが多いのである。
さっき触れた朝日新聞の諸家の見解の中で山脇高女の先生である竹田菊子氏が、男装のレビューガール等を慕うのは「この頃は昔と違って結婚年齢がおくれているから、結婚まで一つの遊戯をしようと考えているのではなかろうか」と述べていられるのは、現実の或る心理を捕えていると感じた。竹田氏は、その対策として「家庭などがもっと高尚な趣味の方に導くようにしてやって欲しい」と親切に忠告しておられたのであるが、その息子や娘が婚期をおくらさざるを得ないような経済状態にある今日の大多数の家庭で実際上どんなより高尚な趣味を養ってやり得るであろうか。例えばヴァイオリンの有名な教師モギレフスキイの一ヵ
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