ルピスは、酸っぱい気がした。
それから又余程たって、どこかの家でかの子さんと話したことがあった。同じ芝白金だったのか、そうでなかったのかよく分らない。かの子さんの自宅で会った最後は、もうやがて六七年も前のことになろうか。かの子さんが外国から帰られて程なくのことであったと思う。青山高樹町の家の客間に通され、フランス土産の飾り板などある長椅子のところで、毛糸の部屋着の姿で、そのときは割合永い間あれこれと話した。芝白金時代、かの子さんの健康はすぐれない状態であったが、その後の数年間に恢復して、その時分は本当に体がいい気持というような風であるらしかった。体が癒って気持がすっかり明るくなったというような話も出たが、その青山の折、私はかの子さんがこれ迄と違って来ていることを感じ、その感じが主としてかの子さんの話をきく立場に私をおいたが、その話が、尚かの子さんのちがいを感じさせた。自分の体のいい気持、自分の心のいい気持、つまり生きているありようが満足の感情で感じられているような時期が、一人の人生の或る時あったとしても、よいのだろう。そういう心持で、私は高樹町のところから電車にのったのを思い出す。そのときのかの子さんの印象は、自身の白い滑らかさ、ふっくらした凹凸、色彩のとりどりを自身で味いたのしみながら辿っているとでも云う心理に映った。主婦として女中さんの待遇について話すようなときも、同じその感覚が、自身の主婦ぶりに向けられているらしくあった。
やがて、かの子さんの小説が出るようになった。精力的に、溢れるという形を示した作品が現れるようになった。作品の世界は、幻想的と云われ、或は逞しき奔放さと云われ、華麗と云うような文字でも形容され、デカダンスとも云われ、あらゆる作品の当然の運命として、賞讚と同時の疑問にもさらされた。文学の作品として、かの子さんの幻想ならぬ幻想が、その世界として客観的になり立ち得ていたかどうかということについては、ここで触れない。かの子さんの小説がどっさり現れるようになってから、かの子さんの顔を見ると、いつも私の心に起って来る妙な居心地わるさというか苦しいというか名状しがたい心持について、暫く考えて見たく思うのである。
一口に云えば、印刷になった彼女の小説を読むときは、それとして読むのであるが、特徴あるおかっぱのかの子さんの顔を見た刹那、どうしてもその作品が
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