二・二六事件の真相「嵐はかくして起きた」「嵐のあとさき」をよみくらべた人はそこに不可解な一つの重複というか、複写版というか問題があることに気づかずにいられなかっただろう。山口一太郎氏の二篇の実録をよむと、この人が二・二六事件をクライマックスとする陸軍部内の青年将校の諸陰謀事件に、密接な関係をもっていたことがはっきり書かれている。同氏は二・二六事件の本質を、陸軍内部の国体原理主義者――皇道派(天保銭反対論者)と、人民覇道派――統制派との闘争とし、敗北した二・二六事件の本質を、労働者農民の窮乏に痛憤した青年将校の蹶起《けっき》、侵略戦争に反対し、陸軍内の閥と幕僚を排撃して、陸軍の自由を愛好する分子の挙げたこととして、こんにち語りはじめているのである。
丹羽文雄氏の「一時機」は、「天保銭の行方」の一部として「一切私が口をはさまない」「Y君の話」実録的な小説として発表されている。「一時機」が五・一五から語り出され「チミはナヌスとったか」と侮蔑的に第一部長の東北弁をまねられているところも、「嵐のあとさき」昭和七年度の記述と、ほとんどそのままである。山口氏の文章の片仮名が、丹羽氏の小説では平仮名
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