ほんとのところを言えと言うと、殺人は、否定しているのだ。然し自分が殺した証拠が斯くも多数にあると言うと、理性からの判断では、本人と雖《いえど》も殺人を認めなくてはならぬことになる。斯う云う時に、理性の方を信頼して、現実の方を信頼しないと云うような趣がある。」
そこを予審判事が特別に注意したことから、無罪を証明し得るに至る過程は成立しているのである。
一般の読者は、この全く特徴的な数行を何等不思議な気がしないでよむのだろうか。探偵小説の読者というものは、こういう我々の常識で合点のゆかない現実の歪みも、承認するほど不健康な精神活動に馴らされているものなのだろうか。
良人に左翼女優の比叡子という愛人が出来、妻はそれを苦しみ、愛をとり戻そうとして自分を傷けたことから誤って死んだのであったが、法廷で、この女優が、殺人をおかさせたのは自分であると云う。その心持を、人間的な感情上の責任感として、あるがままに理解せず、木々高太郎氏はその心理を大変ひねって扱っている。
「私は今、あの時の比叡子の気持ちがわかります。私との間の、言わば恋愛が進行して、自分で自分がわからなくなったと言うので幾分かでも私
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