、読者としての自分たちがこの社会の現実関係のなかで、どんな関係におかれているかも釈然として、そこから感じて来るものは浅くあるまいと信じられる。
「長篇の形式と内容の問題」で、この著者も昨今流行の長篇が、所謂力作主義ではあるけれども、文学作品としてはいずれも訴えて来るものが少く「一番つよく考えさせられることは、思想の弱さ、曖昧さである」としている。ところで、文学の思想性というような言葉は随分見かけるが、文学の内のものとしての思想とはどういうあらわれをもつのが本来なのだろうか。「それは、どんな思想でもよいから強く明確なものを欲するという意味から云うのではない。どんな思想でも芸術を美しく輝かせることが出来るとは云えないからだ。又私は、(中略)一つの名を持った特定の思想体系について云おうとしているのでもない。芸術作品について思想と云う時、それは一般的に作者が私たちの生活の中で何に注目し、それをどう理解しているかを指している。そう云っただけではまだ不充分だ。作品の与える感動の質や強弱や方向や深浅や大小を、具体的に規定している、作品のその関心や理解こそ思想であろう。感動の性質をよそにして作品から思想を抽出し、評価することは出来ない。このように考えられた作品の思想は、作品の骨組みである構成において示される。」
 こういう部分は実に面白いと思う。そして本当のことが観察されている。作品の構成が、通俗的なストーリイとしてではなく、「大きな世界をその詳細な見取図において取り扱う」筋として、「人間関係を表示する行為が、決定的に重要な意義をもって来る」ものとして会得した上で、今日流布している長篇小説のあれこれの内部にふれて思い到るとき、そこではどんなに屡々所謂事件の運びが文学本来の人間追求としての筋に代えられていたり、問題の説明としてだけ人間が動かされていたりしているかが理解される。読者としての私たちの胸に、絶えざる満ち足りなさののこされるわけも、うなずかれようというものではないか。
 このことは、作者[#「作者」に傍点]と作品[#「作品」に傍点]と、作品がそこから創り出されて来る現実[#「現実」に傍点]との三角関係のありようにもかかわって来ることが、「現代文学の非恒常性」のなかで、興味ふかく語られている。先ず、作品と作者との関係は、作者の主観的な意欲や創作熱意だけで解決する簡単なものではない。一方的に作者の主観的な意欲や創作熱に基いて表現的努力にばかり傾いて行くと、そこには作品の制作という作品そのものの[#「作品そのものの」に傍点]支配はあっても、作者と作品との関係に対する作者の支配[#「作者と作品との関係に対する作者の支配」に傍点]はなくなって行くばかりである。文学作品として書かれるべきものがみずからの表現を得るというのではなくて、作者自身の風俗が展開されるばかりで、「文学は自分自身に対していよいよ第三者的たらざるを得ない。」作者と作品との正常な関係は、作者の熱意と意企が、書こうとする対象に文学として明瞭な表現形式を与えようとする創作過程を、同時に、ある表現形式を与えようとする「作者の方法への自覚、反省、批判の契機において、対象がどのような現実[#「現実」に傍点]として把握されているかということをも追求する過程たらしめるところに」成立すると云われているのである。
 多くの作家たちが、或はこれらの言葉を、わかり切ったものだとするのかもしれない。けれども、この文学をして文学たらしめる一筋の道が果してめいめいの創作過程のなかで今日十分身につけつくされているであろうか。青野季吉氏が二月の『中央公論』に「作家の凝視」ということを書いていられる。現実を凝視する粘りづよさを作家に求めているのである。作家が自身の作品に深々と腰をおろしている姿には殆ど接し得ないという、「作品と作家の間の不幸な関係は、そのままで放置すれば、作品と作家がすっかり離縁して、てんでに何処へ漂流するかも知れないのだ。小説の前途について、いろいろ不安の説を聞くが、私にとっては、その離縁がもっとも恐ろしいことに思われる。
 小説というものは、作家の誠実な生命と結びついたもので、その意味では容易に産み出されるものでなく、誰も云うように『六つかしい』ものであるが、それは創造としての小説の話であって、小説には、他の芸術でも同様であるが、作者を離れても、手芸的に制作されうる調法な抜け道がある。その抜け道を誰も彼も心得るようになっては、小説の運命はそれまでだ。
 この時勢を生きるための作家の心構えなど、いまの私には聰明ぶって説き立てる勇気はないが、私にはこう云う時勢の中で、作家にとって最も大切なものは、執拗な凝視であると強調したい一念を抑え難い。」
 日本文学のなかでたとえそれがどんな形で経験されたにしろ
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