いという時代の性格そのものに対する作家の文学的意義のくい下りが足りないという気がする。
 ロマンティシズムの精神において、では作家は縦横自在であり得るかといえば、現実にはその天地にも埒があって、ロマンティシズムの方向もほぼ見とおされる。現代にそのようなロマンティシズムへの傾きが何故生じていないかという文学の問いに、ロマンティシズムそのものは答えを与える力をもっていないということも興味がある。
 リアリズムと云えば自然主義の系列の些末主義の範囲で規定して、そこからの脱出をロマンティシズムに見るような、今日の時代の性格へのかかわりあいかたにこそ、今日の文学の弱い部分があらわれているのだと思う。作家が、自己というものを百万人の一人としての生活の実感で把握しなおし、文学的確信の再建を可能にするのは、窮極において生活と文学との現実に徴してゆくことしかない。
 益々強靭である故に美しく、複雑な事象の波瀾におどろかない史眼、その洞察力の故に一層感動深いリアリズムを求めてゆくしかないのではなかろうか。文学におけるリアリズムもやはり世界史的な拡大のときにあって、従来対置されているロマンティシズムが、その発生の現実にまでさかのぼって捉えられるという意味で、かえってリアリズムとの統一を可能にして行きそうに思われるのである。
[#地付き]〔一九四〇年九月〕



底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年4月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「帝国大学新聞」
   1940(昭和15)年9月号
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2003年2月13日作成
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