とりあげ得ないでいる。日本における夫婦間の相剋は、少くとも漱石の作品の世界では、ストリンドベリーの文学の世界のそれとは、その発生の社会性に於てちがっている。そのちがいが現実に作用しているだけ深刻巨大なちがいとしては抉り出されていない。漱石の教養の歴史性の片影は、こういう点にも見られるのである。
 鴎外は漱石とまたちがい、この文学者のドイツ・ロマン派の教養や医者としての教養や、政府の大官としての処世上の教養やらは、漱石より一層彼の人間性率直さを被うた。彼が最後の時期まで博物館長として、上流的高官生活を送ったことは、彼に語らせればゲーテ的包括力であったかもしれないが、歴史の鏡には、やはり文学者としては伝記の研究に赴かざるを得なかった必然として映し出されるのである。
 漱石の系統に立って、教養を自分の芸術の砦としようと試みつつ、遂に時代の大きい動揺によってその砦を壊されつつ己はその崩れた石の下となったのが、芥川龍之介であったと思われる。
 この時期を一区画として、文学における教養の問題は、日本文学の中で未曾有の一飛躍を示した。従来は、教養というものに対する作家の態度が、二別二様に分れていたと
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