を云った。
 それで自分では出来したつもりで、かるいほほ笑みをのぼせて居る。
 私はまるで試験官のようなひやっこいはっきりした心地で女の心を見とおすように傍にひかえてひややかに笑って居る。
「よく来られたネー、私は大抵だめだろうと思ってたんだが」
「ずいぶん工夫してネ、それでもやっと、夜までは……かまわないんですよ」
 又女は何か心の中にわるいたくらみをもって居るおやじのように笑ってチラリと私のかおをすきみのように見る。
「お前知ってるんかい」
「何を?……」
「何をって私のこれから云おうて云う事をさね」
 いきなり妙な問を出された女は、答える言葉もこの言葉の意味も考える余ゆうもないようにあわてた声で、
「神様じゃないもん、そんな事……」
「そんなら私が何を云うかも知れないでただ来たんだね……」
「貴方になら何を云われてもと思ってますもん」
「有がたいネ、ほんとにおやすくないわけだ」
 だれの男にも云いなれたその御ついしょうを又私にもくりかえされるのかと思って又とない不快な心持になりながらそれを押えつけるように云った。女はだまって洋傘の切を音たてて居る。
 二人はスレスレの心持になってだまって顔を見合わせて居る、女の小ばなにはあぶらがういて居てまだどこかに若々しい心が有ることをしめして居る。
「それでこれから先御前どうするつもりなんだい」
「どうするつもりって……そんなにハッキリなんかわかって居やしないけど」
「好い旦那でも見つかったんかい」
「また、旦那旦那って何故そう御云いなさるんだろう。そんなものなんかあてにしてやしませんやネ」
 この言葉だけは昔の勢をのこして居るようにハギレよくひびいた。
 少しでも女の様子に昔の有様の見えたと云うことは廃坑から又、新らしい石炭の層を見出したその時よりも嬉しい胸のおどる心地がして心からゆすり出るようなほほ笑みを私は口にうかべながら、
「マア、珍らしい事だ、よくそんな今までにないハッキリした口調に私のよろこぶような気持の好い事を云って呉れたネ」
「貴方って云う方は妙な御方だ事、私の云う事で私はこんな事はと思ってムカムカして云う口調を貴方はよろこんで居らっしゃる、だから、まるで私の嬉しがる事とあべこべの事をよろこんで居らっしゃるんですネ」
「世の中の苦労を、かみしめたものは、御前の思ってるよりあべこべの事をよろこぶものなんだ、そらね、赤坊から一寸育ったような小供はいい子だからねと云われるとくだらない用事をさせられてもよろこぶだろう、それと同じなんだネ」
「そんなもんでしょうか」
「それで御前はこれからどうすると云うんだネ」
「どうするって、どこか変えようかと思ってるんですよ」
「かえるもいいが、あんまり変えると何とか悪いことがおこりやしないかと思うんだけど…………」
「それもそうだと思ってネ、今迷って居るんですよ」
「まさか御前だもの、くだらないもんの手にかかって手をやかれるような事はしまいがね、とにかくよく考えて見ての上さ」
「そりゃネ、もちろん、誰と云って話相手になる人もなし自分で自分をまもってかなくちゃあならないんだから」
「まあよく考えるさ」



底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
   1986(昭和61)年3月20日初版発行
※1913(大正2)年6月4日執筆の習作です。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2008年2月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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