ものに対して、自覚された人間性の自由と自我の尊厳とを主張したものであった。先に述べたように、それより以前文学者の生活は社会の政治経済面での活動から閉め出されているのであったから、この人間性の主張、自我の自覚の社会的土台というものは全くインテリゲンツィアとしての書斎の生活に置かれ、或は家庭内、身辺の客観的には小範囲の人的交渉の間に置かれざるを得なかった。
 このことは、夏目漱石の作品の題材の範囲の狭さにも見ることが出来る。人間関係、社会の現実を経済政治の関係の中で横に眺め得ず、狭い身辺の間口から心理の奥行深く眺め渡しているのである。
 森鴎外は傑出した智能を持った人であり、科学と文学との美を当時の水準では最高に身に具えた人であった。軍隊の衛生、クラウゼヴィッツの戦争論を訳した筆は即興詩人を訳し、「舞姫」「埋木」「雁」等を書いた。鴎外が晩年伝記を主として執筆したことは、彼の現実の装飾なき美を愛した心からだけ選ばれた道であったろうか。彼の帝国博物館総長図書頭という官職は果して彼の文学的達成にプラスとなっているのみであろうか。伝記を読むと彼はその官職に就いて辞令をうけた日、従来一個の文学者としての立場からその学芸欄に関係を持っていた諸新聞と、改めて関係を断っている。このような些細なことに現れる不自由は、作家としての彼に闊達な振舞を内面的にも外部的にも拘束しがちであったろう。ドイツではゲーテが宰相であれ程の文学者であったというような例は、事情の違う日本では現在までの歴史の性質に於ては有り得ないのが自然とさえ思われる。
 以上のような歴史を持って日本の純文学が私小説の伝統の中に生き、今日に至る間に、インテリゲンツィアとしての作家が政治経済の活動への参加から切り離されていると同時に被動的な社会的立場に置かれて来た大衆の日常ともその知性によって切り離され、次第に芸術の内容を非社会的な、主観と理念と弱小な自我の輾転反側の中に萎縮させて来たことは、見易い現実の推移であった。
 今日、林、小林その他一部の作家によって或る意味では愕然としたようにブルジョア作家の大衆からの游離が注目せられ、しかもその対策として、現在勢力ある官吏、軍人、実業家の中心課題を文学の課題として、「大人の文学」を作らんとすることは、これまで述べて来た日本の文学の特質から見て、どういうことになるであろうか。権力というも
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