田義之氏「はずみ」野口富士男氏「河からの風」いずれも大別すれば系譜的な作品と云える性質をもっている。
 今年特に系譜的な作品が多く現れたということは、現代の社会のどんな文学への現れなのだろう。
 作年は素材主義の荒っぽさに対して、文学の文学性が再び顧みられたにつれて、短篇の真実さが見なおされた。長篇が本質の貧寒さから、時流におされて素材で押し出す傾に陥った対症として、作家が真のモティーヴをもって描く短篇のうちにのこされた文学性がかえりみられたのであった。
 しかし、短篇であるにしろ従来の私的身辺小説であるまいとする努力はすべての作家の念頭から離れず、一方で三田伸六、車膳六その他の主人公たちが生まれるとともに、他の一面では多くの作家の眼が、今日の生活の前方や右左へ強い観察を放つよりもむしろ後方へ、過去に向って拡がる形を示した。
 今日から明日へと作家の意気組が向うよりも、今日かかる朝夕の有様のきのうは、おとといはと目が誘われてゆく底に、極めて複雑な内外の現代の心理がひそめられている。今日一般に歴史的な読書への傾きがつよめられて来ているが、その原因には、目前の無説明な、紛糾に対して何とか会得の筋道を見出したい切実な要求も動いている。
 系譜的作品に向う必然にそういう要因のあることもわかるけれども、それならばと云って、多くの所謂系譜的作品が、そういう意味でも意欲的に過去の現実へ立体的にくい下っているとは決して云えまいと思う。
 登場人物の性格の或る種の面白い組合わせや状況やについてはそれぞれ工夫がこらされていて、そのことは『文芸』の「運・不運」を見ても野口氏の「河からの風」を見てもわかる。後者では東京湾の海苔生産の描写が大仕掛に文化映画的にかかれていて、その間に展開される人間の生活との比重に狂いを生じてさえいる。
 それ等の工夫にかかわらず、系譜的と云われる作品が、とかく生活の生々しい絵巻というより楽な過ぎこし方の物語となるのは何故だろう。今日それが自然発生的にさえ多く書かれる何かとりつきやすさがあるらしいのは、どういうわけだろう。
『文芸』の選評の間で、生態描写のことがちょっとふれられているが、系譜的な作品というものと、過去へさかのぼった生態描写とは文学の質において異うという点が、深めて考えられていいと思った。
「生きて行く姿の移り変りをその移り変りに重点をおいてかく。その時々の一種のモラルみたいなものを描いてゆく」(青野氏)ものとされているのが、生態描写である。青野氏はなかなか面白いとし、宇野氏は「イヤ、いかんね」と云い、その座は笑声に満ちたらしいが、これをすこし云い直してみると、私たちの直感で、或る本質がつかめる。「作家の系譜」と云ったとき私たちに感じられるもの、「作家の生態」と云ったとき受ける一種の感じ、同じであるとは誰しも云えない。
 移り変りに重点をおく、という現象への人間の適応を辿る生態描写には、生存の跡はうつせても生活は彫り出しきれない。一つの移りから次の移りそのものの肯定はあって、動きの現実がもっている評価は作家の内部的なものとの連関において考えられていないのである。モラルというものも、動きの合理化に過ぎない場合が多いことは、一つ一つの動きに評価を求めない態度から当然導き出される。
 そして、そういう風な小説ならば「あれだけ書いて、あれだけ見れば人生に対する観かたをもって来る筈なのに、其がない」(青野氏)場合でも一応は書けるのである。

          五

 あらゆる社会現象の理解のために、そして文学の正常な進展のためには、現代の歴史的な性格というものが動的につかまれなければならないわけだろう。その意味で、今日の文学の感覚の中で歴史性というものはどう見られているか、なかなか興味がふかい点である。
 高木卓氏の「歴史小説の制約」(新潮)は示唆にとんだ文章だと思った。歴史を扱った小説は「過去からとび出して現在に迄及ぶこと」すなわち「過去の現在への相応」があるべきものである点、及び歴史小説のその「現代相応的な方法」によって、今日はトンネルがくずれて汽車では通れなくなっているところをも街道を草鞋《わらじ》ばきで目的地へ行きつける場合もあること、しかし汽車があるのにちょんまげつけて歩く方を選ぶという方法の唾棄すべきこと、並に、史実は甚だ重要ではあるが唯一の準拠的なものではない(例えば官選歴史書でさえ時代時代に修正や改訂されつつある事実)それ故「史実」と相異することでだけ咎めらるべきでないこと、さらに現代のように巨大な転換期における歴史小説の新しい方向として、従来「主人公」に象徴または反映されていた時間空間は「時間空間」そのものを主役として前面へ押し出され「従来主人公だった人間が却って添景にまで後退するという行き方の小説も試みられてもいいように思う。歴史小説に於てより高い観点が要求されるとき制約のなかで最も留意すべきものはこの時間的及び空間的なものではあるまいか」と云われているのである。
 同氏の「南海譚」(文芸)を、作者のそのような歴史小説への意図をふくんで読み、三百年の昔朱印船にのって安南へ漕ぎ出した角屋七郎兵衛の生涯が「角屋七郎兵衛よ、お前が」と語り出されている作者の情感の意味も肯けた。徳川の鎖国の方針が七郎兵衛の運命を幾変転させたばかりでなく、今日の日本の動きにかかわり来っていることも、読者はおのずから行間に会得するだろう。
 高木氏の歴史小説への態度には、一つの歩み出した積極なものがあると思う。そして、その積極なものの本質は、時空的なものに対する作家としての態度にかかっており、芥川、菊池の歴史物と本質の相異をなしている。云ってみればその相異のうちに、日本の苦難な精神史の実績の幾頁かが作者の知る知らぬにかかわりなくたたみこまれているわけで、はなはだ面白く思われる。同時に、巨大な歴史の時代には時空的なものが小説の主人公となって、人間が添景になるということの承認に関しては、作者自身云っているとおり、最も留意し追究すべき点だろうと思う。
 個人の経歴の物語、伝記の枠がふみ越えられなければならないということと、如何なる時代も環境も窮極には人間の社会的な関係によっていて、人間の肉体と精神の動きを通じてでなければ実在し得ないという現実の在りようとは小説における人間の添景的位置で解決され切れない意味あいだと思う。
 歴史の大きいうねりが、個々の生涯を当人たちの希望にかけかまいなく運び去る事実、あまたの生涯を浪費消耗してゆくすさまじさは現前の事象であるけれど、時空的な流れの描写に人間が添景として扱われるということが、人間の歴史の本質において人間が添景であるということでは決してあるまい。逆にどんな澎湃《ほうはい》たる歴史の物語もそこに関与したそれぞれの社会の階層に属す人間の名をぬいて在ることは出来ないという事実の機微からみれば、たとい草莽《そうもう》の一民の生涯からも、案外の歴史の物語が語られ得る筈である。
 このことは明瞭に大正初期に見られた歴史小説流行の現象と対比して見られなければならないと思う。その当時、主として『新思潮』の同人たちが、歴史的題材の小説に赴いたことの心理的要因には第一次欧州大戦につれて擡頭した新しい社会と文学の動きに対して、従来の文学的地盤に立つ教養で育った新進作家たちが、一面の進歩性と他面の保守によって、題材を過去にとる方向を示した。
 今日の歴史小説はそれとちがって積極に今日の現実に「相応的な方法」によらなければならないとすれば、歴史小説における時空的な力の過度な評価ということは、益々戒心をもって省察されなければならなくなって来る。目前の事象の圧力が人間精神の自立性に対してそのように現われているとすれば、同時に現実は複雑だからそれへの批判者としての人間精神も在らざるを得ない。時空的なものに制御を受けつつも、制御を与える時空的なものと、それを蒙っている自己の状況に対して見開かれている眼と、水火に在っても動かされている手足とを失ってはいないのが現実であろうと思う。
 さもなければ、動くものとして人間が動かしているものとしての歴史は存在しない。
 歴史は決して「再び繰り返さ」ない。その視角からこそ現代への相応がとらえられるべきなのだろうと思う。
 今日の文学における歴史小説の積極性と、現代小説の面白さとの相会うべき点はここらあたりのところだろう。この面白さは今日の文学の姿では、まだはっきりもしていない可能として、渾沌のかげに考えられる程度だけれども、どんなにそれが遠くの明るみのでも、やはり或る希望であることにかわりはない。私たちが自分たちの世代を歴史の水深計でつかみ、その上に漂いその間に棲息するだけでなくて、波間の底まで触れて描いて行けたらどんなに面白いだろう。小説は話ではなくて作家にとってはもう一度その世界を生きかえそうとする情熱であることを忘られてはならないと思う。
[#地付き]〔一九四〇年十一月―十二月〕



底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年4月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「都新聞」
   1940(昭和15)年11月28日〜12月2日号
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2003年2月13日作成
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