左翼的な専門の教養をもっていなくても、現実の生活教育によって、それぞれ生活からの欲求として、日常生活の上のより明るい合理的なもの、そして文学としては自分たちの生活の心持を語っている文学を求めているのである。
文学の健全な大衆化は、この方向に志されなければならないということは、文学の発展ということを私心なしに考える者なら判断し得るところであると思う。
人間らしい生活に対する翹望というものは職場、職分の相違、したがって細かい気持の部分部分では全く同一でないにしろ、働いて、税を出して、あてがいぶちの賃銀を払われて暮している者すべての人々を貫いて流れる一線である。この共感は、社会事情の一方からの圧力によって益々高められて来つつある。謂わば人生の歴史の或る四辻のようにさえ見える。こっちからインテリゲンツィアとして真面目にこの毎日の生活、人間としての生活の問題と一歩一歩闘って行って出た広場には、あちらの小路から工場の方から次第次第に欲求を追って進んで来た人々、更にそっちの耕地から農民としての生きる道を押して来た人々がおのずから落合うというようなところがある。こういう目に見える形ではないが、或る
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