゚代社会と民主国家の常識である。けれども保守的な日本官僚はあらゆる形であらゆる機会に伝統的神国精神を保守しようとしている。このやり方は戦争協力者の公職からの追放を出来るだけサボタージュして数において最小限に、時間において最大限にひっぱっている。政府は一九四六年十二月になってやっと内務、文部次官通牒として慰霊祭の停止、学校からの忠霊塔の撤廃などについて命令した。
宗教団体法が廃止され、宗教法人令によって宗教団体の設立はやさしくなった。「信教の自由」という言葉は失業しかかった神官たちに救いの綱となった。彼等は保守的な反民主勢力と結びついて「神ながらの道」によって人心の安定をはかるとして一九四六年十二月「神社本庁」を設立した。八五、二九四の神社が組織されている。
仏教は海外の日本植民地にも進出していたことは、アメリカにおける日本人移民の間における僧侶の活動をみても分る。戦争中、寺は神社とともに人民の血と涙の上に繁栄した。一九四五年八月以後仏教の魅力も当然変化した。しかし教団設立の自由を得て、戦争中は宗派別を無視して戦争協力させられていた各宗派の間に独立の運動が盛となった。一九四七年六月に
前へ
次へ
全166ページ中84ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング