なわち人民の人間的権利についての自覚は目覚めつつあるが、習慣に根ざした隷属性や迷信が、あまり見事に払拭されてしまわないうちに、天皇および天皇制を妥協的な形で再確立するのが賢明であると考えた。「元旦詔書」はその手はじめとして決して不成功ではなかった。一月三日の夜、NHKの報道放送で文学博士和辻哲郎は、天皇制護持の哲学上の基礎づけを行った。文相安倍能成は二月十一日、日本の建国記念日とされている日に、大和民族の優秀性を意味し天皇制の伝説の発祥である建国神話の再認識を求めた。岩波書店出版の雑誌『世界』三・四月号に文学博士津田左右吉の天皇制護持の立場からする皇室論があらわれた。当時の教育局長田中耕太郎は教育勅語を自然法的なものとして、この勅語が国民教育の基準となり得ることを主張した。戦時中は中立的立場に立っていた学者、または津田左右吉のように日本歴史の解釈において治安維持法に触れそうになり著書の発売を禁止されていたような学者が、天皇制護持のための活動を行ったことは、天皇制に対する意見の動揺している一般市民、学生、知識人にとって、その判断のはかり[#「はかり」に傍点]を天皇制承認に傾かせるおもり[
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