ス貴族や「もう一度日本が戦うと仮定すれば、私はもう一度同じあやまちを繰返すであろう」と公言している石川達三を演壇に立たせることに対して、驚きと不快の心もちを抑えることが出来なかった。この異様なユネスコ憲章を愚弄したような第一回集会に、森戸文相は祝辞を与えた。
 ユネスコ運動者の第一回の試みは、彼等が予想したよりも一般からのきびしい批難を蒙った。第一回の会合のために組織されたグループは、表面上一応解体したと告げられた。新しく東北地方の大学教授を中心とするユネスコ協力会が仙台に生れた。そして全く新しい構想で東京においてもユネスコ協力会を組織するということで、一九四八年のはじめ準備会が開かれた。準備会に出席した人々は、何処かでこしらえあげられていた委員の名前が読みあげられた時、意外の感に打たれた。委員の中には、もと外交官、商人などのほかに、また例の貴族と石川達三が加えられていた。そしてユネスコ憲章は、原則として団体加入であるのに、日本のユネスコ運動者たちは、理解されにくい彼等独特の理由をもっているかのようにがんこに民主的団体の団体加入を拒絶している。
 今日までの経過をみると、日本におけるユ
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