どんな境遇におかれても、やる者はやるということはよく云われる言葉だと思う。特殊な例外の何人かにそれは当てはまる場合があろう。英雄伝はいつもそのように書かれるのが常套である。けれども、国民の日々の生気の溌溂さというものは、案外のところによりどころを持っていると思う。あながち食物の潤択さばかりにもない。物資の豊富さばかりにもない。
相当の空き腹で、相当に雨水のしみこんで来る靴で、少年たちが猶喜々としているとすれば、つまりは自分たちの胸底にあつく蠢いている自分たちの成長の可能への情熱の力によるのではないだろうか。そして、その可能性は具体的なものでなくてはならないのではないだろうか。
同じ学生でも、夜の学校に行っているものは、昼間勤めて月給をとっているという理由で、市民税を納めることになった。親の仕送りをうけている学生は市民税は払わない。昼間つとめている少年だの若者たちの得ることの出来る月給とは、一体いかほどのものであろう。
親の仕送りをうける学生は眼前に親の生活の経済的な助けとはなっていない。昼間勤めている夜の学校の学生は、月給の全部を自分だけで使ってしまっているという方が寧ろ珍しいであろう。月謝のためだけに昼間勤めてはいないのであろうと思う。市民税を納めることに、勤労市民の一人としての誇りを感じようとする心は、上級学校への道の封鎖や戸主であるなしの問題、その他の現実を思いめぐらしたとき、前途に洋々たる展望を描き出すことの困難さに当惑するであろうと思われる。青年に期待するというのは、どういう実際を指すのであろう。
昭和十一年三月という、今日では殆ど用に足りない古い統計でさえ、甲種実業学校の入学志願者は十九万人近く、入学者は十万五千三百九十八人という数を示している。
昭和七年に比べると、志望者は七万余人、入学者は二万人近く増して来ていたのであった。
女戸主
選挙法の改正のことは、急に実現されないことになった模様である。
戸主という者が資格として語られはじめたとき、私たちの女の心に閃いたのは、女の戸主はどうなるのだろう、という事実であった。あちこちの新聞雑誌でそのことにふれられていたけれど、その声がどのような形で上達したのかはわからない。
日本じゅうに婦人で戸主であるひとの数はどの位だろう。
二十五歳という年を中心にして有職者を見くらべ
前へ
次へ
全6ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング