隣家の下屋根が迫っていた。雪の上の陰翳は、濃く匂うような藍紫の色である。新鮮に凍ってチカチカ燦く雪の肌と、その上に落ちている藍色の影とは峯子に、遠い曠野を被う雪の森厳な起伏と、這う明暗とを想わせた。
峯子の婚約者の塚本正二は出征していて、もう三月ほど前のたよりに、その土地に降った初雪のしらせがあった。科学を専門にしている正二らしく、雪の結晶は東京から数百里を隔ったこの山嶽の間でも、やっぱり同じ形に美しいね、とかいていた。東京は晩秋で、峯子は、正二が留守の秋の夜々の身にしみる思いと、この事務所を持つための用意で緊張した昼間の心持とを、交々《こもごも》に味って日々を送り迎えしている頃であった。
毎日みている街の景色が、そっくりそのまま、きたないものはきたないなりに、まるきりいつもとちがったように目新しい雪の日の眺めは、何とも云えず面白い。いつの冬も、峯子は、雪が待たれた。ぬかるみも、雪どけといえば、許せる心のはずみがあるのであった。
峯子の机の前の窓ガラスに絶えず揺れる雪解水の閃きが映りはじめた。その光線は、雪あけの特別な今日の明るさで一層薄汚さの目立つ天井の一点にうつって、そこで伸
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