るのであった。その晩は一つも涙がこぼれない代り、若々しい峯子の体を貫いて、火のようなものと悪寒とがかわり番こに走った。
「ふるえるようかい?」
正二は上衣の前をひろげて、それでなおぴったりと峯子を自分に近く、くるむようにした。峯子は一層ふるえ、一層烈しく顔を圧しつけた。
「ね、わたしたち、このまんまでいいと思う? ね、大丈夫?」
年さえ越せば正二の家の事情がややよくなって、二人は結婚することになっていたところだった。このままの自分たちでわかれるということも、そうでないものとなってそして別れるということも、今の場合、峯子には考えて判断する種類のことでなくなった。
正二は、暫らく黙っていたが、やがて、
「僕も考えた」
と云った。
それからすこし自分から離すようにして峯子の顔を長く眺め、力のこもった手のひらで、前髪の方へと峯子の顔を撫でた。
「峯子は、どうなんだろう。このまんまでやって行けるかい?」
峯子にやってゆけないというわけが、どこにあるだろう!
二人は再び沈黙した。時間ではかることのできない刻々が過ぎて、いつか様々な考えの去来につれ自分の躯ぐるみ胡坐《あぐら》の中の峯子をもゆっくりと揺すっていた正二は、遂に、はっきりした声で、
「よし」
と云った。
「じゃ、御褒美にとっとくとしよう」
いかにも、きまった、という明るさで、正二はそう云いながら丁度手のあたっていた峯子のおしりの上のところを、無邪気にポンとたたいた。
「それでいいかい?」
「いいわ」
自然に峯子の返事もされた。
しんから頼りのある安心した、いい心持でその返事はされた。
「きっと峯子もいいと思うよ」
ほんのすこしの含羞《はにか》みを輝いた眼のなかに浮べて、正二は、
「目ざめない湖の美しさのようなものだろう?」
と云った。
「だんだん、だんだん朝の光で展《ひら》かれてゆくのが自然だし、見事だと思う。外部からの条件がかってはいやだろう?」
そして、
「すこし慾ばりすぎるかな」
と快活に笑った。
正二が行ってから時経つにつれて、峯子は、あのとき自分は、十分正二の気持がわかってはいなかったと思うようになった。すこし慾ばりすぎるかな、と簡単なその言葉に、正二は、生死の保しがたい自身を考えていたのだった。峯子は峯子の心の真実に従って自由に進退の出来るよう。更に、この頃生活への理解が急迅に成熟し
前へ
次へ
全13ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング