びたりちぢんだりしている。
 峯子の近くのところで、いきなりターンララララと歌うように雨樋が通りはじめた。峯子の胸は、この生活の活気を告げ知らすような雨樋の歌に誘われて、暖くせきあげた。
 正二もいなくなってから、とき子との永い相談と、互に力を合わせた骨折のあげく、自分たちの事務所として持つことの出来た粗末なこの一室を、峯子は心から大切に思い愛している。
 三台のタイプライター。事務机。仕事椅子。エナメル薬鑵[#「薬鑵」は底本では「楽鑵」と誤植]と茶碗が五つ伏さった盆がおいてある円テーブル。壁にピンで貼られている仕事の予定表。一つ一つのものが、とき子か峯子か春代かによってここへ運ばれ、配置されたものであった。偶然によせられたものは一つとしてない。
 巨大なオフィス・ビルディングの連った丸の内をかこむ外廊には、種々雑多な程度の、なかには「山かん横丁」という名さえもつ事務所街がかたまっていて、丁度大工場のぐるりに、下請の小工場が犇《ひし》めいているとおりに、巨大な利益の移動からこぼれる屑によって存在していた。転業したカバン屋の店、時々、店をあける鮨屋、荒物屋などの間にはさまれて、階下には素性のよくわからない合名会社の看板が出ている。この建物は、そういう事務所街から、もう一重も二重もそとの省線駅の近くにあった。電話はその都度五銭ずつ払って、階下のをつかわせて貰い、暖房の設備どころか、弁当の湯さえ自分たちでわかさなければならなかった。それでも、ここは二つ三つずつ順に年のちがう三人の若い女が、雄々しく生きてゆこうとする生活の砦であった。壁には仕事の予定表と並んで、古風だが心持よい風景画の複製が一葉飾られていた。海岸の雨後の景色で、こんな些細なものにも、ここを自分たちの働き場所としている三つの若い心が、生活に求めているものがあらわされているのであった。
 ここを根城として今日はじめて雪の日が来た。
 さっぱりした水色毛糸のジャケツの上へ、紺ぽい仕事着をつけた背中を反らすようにして、峯子はとき子の方をふりかえった。
 とき子も手をやすめて、半ば無意識に、その手をたがいちがい揉むようにしている。
 五年の間、機械を対手に練磨されて来た十の指は、ひきしまって、いくらか神経質になっている。短かい休息に、とき子は指をもみながらも、胸を張り、姿勢よくして、顔を真直にあげ、雪を見ている。
 
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