を生む社会[#「社会」に×傍点]主義的な方法で耕作するために、随分富農や反動分子との闘争を経て来た。
第一次五ヵ年計画のすんだ今では全農戸の七割が集団農場化し、耕作機械、刈入機械の配給所は三千百ヵ所にまで殖えた。耕地面積は五年前を一〇〇とすると一四五で、世界のよその国ではアメリカでも農業恐慌で耕作面がどんどん縮少しているのに比べて実に大した違いである。
農民の収入も自然と年々高まって来ている。
集団農場にも種類があって、単に蒔つけ、刈入れ、虫とりなどのような時だけ集団的に皆で働く初歩形のものから、すっかり何も彼も共営でやって行く形まである。今日では初歩的なものが段々完全な共営にまで発達しているが、集団農場が結局農民にとって得であることは次の条件を見て明らかである。
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一、集団農場に組織されて二年間は税を免除する。
一、その後の税率は、集団農場の全収入を集団農場員の頭割にして、その額がその地方の個人経営の農民の平均収入より少なかった場合は免除。多かったら、個人経営の農民の払う税の三割から六割減の率で払う。
一、集団農場員が冬の間に入用な薪を切り出す附近の森林はただで貰える。納屋、小舎等はただで貰う。
一、種、肥料などは非常にやすく、政府がくれる。
一、集団農場員の家族で働けない者がある時は(老人、病人等)それは集団農場全体が責任をもって養う。
一、赤軍に入営した後の家族の世話も集団農場がする。
一、仕事の割当によって賃銀を払われる。収穫物の取引は集団農場と国営の生産組合とが直接やるのであるから、だまされる心配をする必要がない。
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その他に便利は沢山ある。
集団農場には托児所、共同食堂、クラブなどはつきものとなっている。
私は、来ていた人に、自分がソヴェト同盟の南の地方を見学旅行したとき或る国営農場で見たいろいろのことを話した。大きいクラブがあって夜そこで農場員と一緒に無料映画を見物した思い出は忘られぬ。農場の広っぱに国立出版所の赤い星で飾った売店があって、本や雑誌をうっている。
働くばかりではない。文化も高まって来るのがソヴェト同盟の農民の生活である。私は、クリミヤ地方を旅行した時見た農民のための療養院の話もした。海に、面して眺望絶佳なところに床まで大理石ばりの壮大な離宮がある。それが今は農民のための療養所で、集団農場から休養にやって来ている連中が、楽しそうに芝生の上にころがって海の風に当っていた。
農村のために映画館を二万五千にふやしラジオは十倍にひろげられた。農村の学校、診療所、産院等五ヵ年計画では大した予算で増設されている。
一度あの様子が見せたい、と私はその人に心から云った。そうすれば、いろんなデマはうそで農民の幸福というものはどんなものであるか分るし、そのために闘い、プロレタリアと共に勝利するだけがその幸福をわがものとする道だということがわかる。
農村、工場の真に闘っている人の中からソヴェト見学団の送られる価うちはここにある。ソヴェトの友の会では、去年の十月、革命記念祭に向って見学団派遣を計画し、農民代表として石川県の農民の山野芳松という小父さんが決定されるまでに運んだ。政府は、旅券をよこさなかった。農民にソヴェト同盟の真の姿を見せまいとするのである。
現に中国のソヴェト区域の農民はもう集団農場の方法で耕作し、収穫も高めはじめている。
ソヴェト同盟を守[#「守」に×傍点]れ! ということは、だからとりも直さず、すべての国のプロレタリアートと農民が幸福へ行く自分の道を守れ! ということなのである。[#地付き]〔一九三三年三月〕
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
初出:「農民の旗」
1933(昭和8)年3月号
※「×」傍点は底本、もしくは底本の親本で伏せ字を起こした文字。
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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