に送られるんでは、〔二字伏字〕いと思えぬ、そう云って居るそうである。
日本[#「日本」に×傍点]はどんな田舎にでも電燈と小学校とはあると役人たちは自慢そうに云うが、電燈がこの頃の農村の何割にとぼっているか?
小学校六年を終る子供は半分以下で、三年四年がせいぜいのところだ。田舎から出て来る女工さんを見ればそれはよう分る。親へ手紙が満足に書けるのは何人もおらん。それだから工場主はホクホクものだ、とそのひとは腹立たしげに云っていた。
婦人雑誌が「子供の育てかた」だのやれ「姙婦の衛生」だのときれいな絵入りで書き立てているのも可笑しいようなものだ。農村には産婆さえありはしない。よしんばあってもたのめはしない。
日本[#「日本」に×傍点]の農村の昨今のひどい状態を話しあっているうちに、来ていたひとは私の机の上に「ソヴェートの友」という絵ばかりの雑誌があるのを見て、それを手にとり、つくづく眺めていたが、
「この写真のようなのかね、まったく」
と云った。どれね、と覗いて見ると、それはソヴェト同盟の集団農場の写真だ。耕地の労働が何台もの立派な機械でされているところ、集団農場の托児所で子供らが嬉しそうに目玉をクリクリさせて食事をしているところ、又クラブで皆が芝居を見ているところなどが写真にとられている。
「写真だもの、嘘はない」
こんどは話がソヴェト同盟の農村の生活について栄えた。
ソヴェト同盟の農民が、昔帝政時代にどんな目に搾られて暮していたかと云うことは、世界でロシアほど無学文盲の率が高かったところがないという一例ではっきり分る。帝政時代ロシアの農民の子は大学に入れなかった。法律が禁じていた。服装でも、言葉つきでも、住居でも、まるで違っていて、ロシアのブルジョア地主は自分たちが搾っている農民を軽蔑して「野蛮な熊」と呼んでいた。
農民は坊主から「お前らが絶対に命令をきかねばならぬ主人がこの世に三つある。第一は神。第二が皇帝。第三は地主だ」と説教され、布施をしぼられながら、心に憂さが積ると酒を飲んではのんだくれるしか仕方がなかった。
十月の革命[#「革命」に×傍点]では農民も「土地[#「土地」に×傍点]を農民へ!」と叫んで労働者とともに蹶起した。それから今日集団農場になるまで、皇帝[#「皇帝」に×傍点]・教会・地主から没収した土地[#「土地」に×傍点]を、真実農民の幸福
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