をひそめたる楓の梢であるからでしょうが。しかし、日本の文学が、科学精神追求のテーマをジャーナリスティックにでも、文学的にでも、哲学的にでもなく、科学者生活の勇気にみちた現実に立って描ける日を待ち侘びます。わたしが自身の興味をそういうテーマにもっているから猶更ね。一歩踏み出た文学の形態は、小説という過去の枠もあふれ散文の美しさの各面を活かし(評論的にも)しかも一貫した人生に響きわたっているようなものでしょうと思います。科学精神追求のテーマも面白いが、又「米」というような主題を、多角的に描けたら(そのことで即ち科学的に)実に素敵よ。日本の作家として、ね。わたしが小説でこころに描いている二つの仕事の一つは、科学的労働の人とその研究テーマとの人間的いきさつ、結核研究者が書いてみたいの。こういう時代の困難をもしのぎつつある、ね。研究所にガスが出なくなって薪で指をくすぶらせつつサッカリンを作り、それで必要な実験器具を手に入れたりしつつ努力している人物を。それが描けたら、米のような主題の扱いそのもので新しい線を描き得るような作品を。こういう小さからぬ希望のためには、本当に丈夫で、暮し上手でなければな
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