きりが頻りに鳴いて居ります。麦畑の中にまだら牛が二匹います。妙な牛っぽくない鳴きようをいたします。豆の花がこの破屋のぐるりに蝶のような花を開いて居ります。

 五月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 千葉県長者町より(封緘はがき)〕

 五月十日
 ここでも警報はあります。遠い半鐘の二点鐘です。チジョチャンと呼んで、小さい頬ぺたの丸い男の子がよちよちと訪問して来ます。チイ公というダックハウンドの雑種のような大きい耳の茶色の犬も居ります、久しぶりでのんびりしてこんなものをおめにかけます。

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ひろびろと夷隅の川の海に入る岬のかなたに虹立ちて居り

よしきりのここだ来啼ける河口にかかる木橋は年古りにけり

虹かゝる岬のはての叢《むら》松は小さく群れて目にさやかなり
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(こういう景色の雄大な優美さは、なかなかブランカ歌人の力量に及びません。虹の大きい切れはし、その下の岬に松むらが小さくくっきり並んで見えるのは面白い眺めでしたのにね)人麻呂はこういうスケールが得意。

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青葉風肌爽やかに吹く日なりわれは若葦笛ならましを
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(うたのこころはあなたにこそ、けれども玄人はこれを腰折れと申しましょう、平気よ)
 ここには大体一週間ばかりの予定で居ります、そして帰ったら又人足仕事をして荷物を何とかして田舎行の仕度いたします。すこし永く落付くために財務整理(!)がいるので本月一杯はどうしても東京にいなくてはなりません。来月おめにかかるときどちらでしょうね。煙と焼棒杙の間からお顔を見るような感じでしたから、田舎でゆっくりと出来たらさぞうれしいことでしょう。どこにしろわたしもそこで暮すのよ。そのつもりで居ります。汽車どころではなくなりましょうから。東京も外へ出て、あの焼原のどこかにぽっちり樹も青くているところがあり、そこに住んでいること思うと(焼あとを疾走する汽車の中で)殆どふしぎです。

 五月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 千葉県長者町より(封書)〕

 五月十日(ムッちゃんという子が来ていてやかましいの)
 三日づけのお手紙、丁度きのう出がけに頂いて、袋に入れ、こちらへくる汽車の中でたのしいおやつとなりました。これが一週に一、二度書いて頂けた時期の一番終りの分となりましたね。[自注12]虱の話。大丈夫
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