で帰りは買えません。
持ってゆく荷物をこしらえて、土蔵にしまってあります。きのうは三越へ降りたついでに、輝《あきら》と勝《まさる》のためおもちゃを買いました、其は色も何もついていない、ちょいとした積木ですが、二つで十一円何十銭かでした。ほんの小さいものなの。わたしのわきで、子供をおんぶしたおかみさんが、三十何円かおもちゃを買いました。どんなのかと思ったら、三つほど小さい箱が重って渡されました、ズック製の犬と何かのゲームよ。しかし考えてみると、木とか布とか、今は貴重な品なのだから高価なのは尤もね。でも、苦笑いたしました、島田の田舎の、ものがまだゆとりあるところで、こんな木片のおもちゃが五円も六円もすると誰が思ってみるだろうか、と。
もし切符が買えて、行けたらば、ゆっくりしていろいろ御役に立って来ましょう、どうかその点は御安心下さい。何しろ行ったらばなかなか帰れないだろうと(又切符や制限で)それを心配している位ですから。島田も状況によっては、もっと山の方へ子供やお母さんはお住みになる方がいいかもしれませんね、線路に近いし、すぐうしろは光への大道路だから。あっちも決して油断はなりません。特に今後は。光井から島田へ来るようになるかもしれないわね。〔中略〕
わたしが、こんな気持でこの年月暮して来ているのに、安心してあなたに叱られようとしない、ということは妙なことね。云いかえると、何もあなたが、自分の仰云る原型のままをさせようと思いなさるのでもないということを、ふっと忘れて惶てたりするのは、妙なことです。人間の卑屈さというのは妙な形で妙な部分にあるものなのね、安心して叱られないのも卑屈さの一種のようです。自分の意見に自信のないのも卑屈であるが、何というかわたしの場合は、対あなたでなく、第三者に対したとき、自分の意見には常に十分自信をもって居ります、対手につよく其を主張もいたします。ここにも一つの矛盾があるのでしょう。状況から来ている点もあるのね。わたしたちは一つ家に久しく一緒に暮していろいろなことについて自分の意見ももちよって処理する夫婦の暮しかたをちっともして行かれず、いつも、短い、ゆとりのない話の間に事を運んでゆくのだし、あなたのお暮しから云って、わたしとしては、せめて自分へおっしゃることは抵抗なく流通させようという先入的なゆずりがあって、そういうものが、場合によって
前へ
次へ
全126ページ中44ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング