東京との連絡は絶えますし振替とか為替はきかなくなりますし金銭そのものが大いに変化いたしましょうし。どうかいい智慧を拝借。あらゆる面で旅行はむずかしくなり停滞してしまうのではないかと気にかかって居ります。疎開荷物でさえ、今たのんだら倉庫で二三ヵ月の由です。人を運ぶのも、なかなかのようよ。人には人がいります。その人が不足していて。だからわたしも案外東京ぐるりでの生活が継続するのではないかと思います。先ず第一段として、旧市内より外に暮すところを見つけようと思いますが、それもつまるところ、ここがやけてからのことでしょうね。ここがなくなれば菅谷夫婦は、自分たちの便宜によって別になるだろうと想像されます、但菅谷が徴用ですから田舎へ行くことはないでしょうが、縁辺を辿って。「タシュケント。パンの市」という昔の小説のように、食物の確保されるところへ、と向って。わたしはそういうときついてゆく気にはなれません。
 この頃又バルザックよみはじめました。「ウージェニ・グランデ」。そして、何となし思います、文学の本質は何と善良であろうか、と。大作家たる人々は共通の善良さ、善良を愛さずにいられない心の衝動を生涯もって居りますね。俗人は、善良におどろかなくなるし、感じなくなるし発見しなくなるし自分で善良でなくなることをもって大人になったと思います。そして老いさらばうのです。芸術家や政治家の偉大な人々は、人間の善良を信じ、発見し、それに動かされる衝動を枯死させない精神力をもっていて、それ故に不思議な若々しさと単純である故の高貴さをもっています。
 わたしはバルザックを生き返らして、一枚の写真を見せてやりたいと思いました。それは数日前の新聞に出ていたものです、三人の人間が並んで写っていたの、チャーチルは厚外套にくるまって、ずんぐりで、髪がうすく、眼の碧さが写真でも分る眼つきで口が大きいの、あくまで、ゆるぎなきリアリストという風※[#「蚌−虫」、第3水準1−14−6]《ふうぼう》です。
 となりに笑い乍ら話しているセオドアは、めっきりふけました。この何年かの生活のはげしさがまざまざと見えます、彼の大テーブルの上の象牙の大小の象の列は昔のままかもしれませんが。やつれて、脚の不自由なこの男は、快活だのに、雰囲気にハムレット的な優柔さ動揺があるのは何と面白いでしょう、この人の輪廓は震動して居ります。彼の精神力
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