えるかもしれない話でした。開成山開成山と思っていたってどういう風になるかしれませんから、やはり歩いて行けるところに一つ予備のある方がようございましょう。
 やけて来ている人の中に中学一年生がいてね、犬や小鳥がすきで、焼跡の始末から帰って来ると仔犬を抱いたりカナリアを見たりしているの。太郎は田舎で御飯たきをいたしますって。太郎の一生のために何にも代えられない仕合せです。犬好きの少年も太郎も可愛いと思います。十日に行ったときパール・バックの支那の空と支那短篇集『春桃』をおいて参りました。『春桃』は面白い集でした。氷瑩女史の「うつしゑ」という作品なんかも、パール・バックが描いている現実のこっち側から書いているという風なところがあって、やっぱり本国人の作品というあらそわれない味があります。アンデルセン風の話を書いている作家は大変心情的ねガルシンが思い出されるように。日本のああいう種類の作品にあの程度のものはないと思いました。「菊の花」「根」[自注8]などはましな作品でしたが小規模であったしモティーヴが、独語的(よい意味にも)でした、中国文学研究会の仕事としては有意義であったのにああいうのが続けて出なかったのは残念です。きっと興味ふかくお思いになりましょう。近頃心ひかれた作品集です。目白の先生にたのんであった本も、もち主が東京にいなくなっていたりしてなかなか手に入らぬ由、あのお手紙にあった以外の本でもよかったらとにかく貸してもらうとのことでそのようにたのんでおきました。辛い点なんかといつも思っているのではないのよ。時々丁度腕がくたびれたとき急に持ちものの持ち重りがするように、あれこれのことが畳って自分が疲れたりその結果ダラダラになったりつまりこっちが弱いモメントに御註文のテンポの重みがこたえるというわけでしょう。しかし実際問題として南江堂もなくなったし本を見つける困難は言葉につくせなくなりました。『春桃』も金沢市の古本屋から上京した本でした、そういう紙が貼ってあったのよ。昨夜瀧川という夏頃手伝っていた娘が、会いたくて思い切って福島から来ました。わたしは大助りよ、いろいろ手伝って貰えるから。きょうもあっちこっちの見舞に一緒に歩いて貰いました、何だか別のようになってしまった街々のやけたところを一人で歩く気がしなくて。この春は眼をよほど大切にしないと焼け埃で大変です。ホーサンでかえ
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