て特別に意味のありそうな顔つきをしていらっしゃいませんでした。こうしてみると、誕生日そのものよりも、日々をどう生きているかということが切実なのだと改めて思い又、いかにもいそがしいのだと痛感いたします。忙しがって生きて、誕生日を忘れているのも今時のお目出度さなのかもしれません。十二月二十日に国が開成山に発ち、その午後寿が来て、一月二十九日、国の帰る日まで居りました。それからきのう迄、国がひとを使う使いかたと云ったら。使っているようでは一つもないけれど。〔中略〕
わたしはきょうは、本当にお風呂にでも入って髪でも洗ってさて、と自分の暮しをとり戻したさっぱりしたよろこびをあらわしとうございます。残念なことにどっちも出来ないわ。お風呂はボイラーの底抜けが直らず、目白からもって来た桶はまだ煙突がないの、おまけにすこし底があやしいのよ。髪を洗うことは、疲れすぎて昨夜風邪ぎみでしたから、やめなければなりません。
きょうは、どこの家でもくつろいでいるのね。こうやっていると、カナリアの囀る声に混って、うれしそうにさわいでいる隣の子供の丸い足音、人の声がいたします。さっき台所の裏の氷った道を、組長さんの近藤さん(うらのはなれに住んでいる画家)が鼻歌をうたい乍ら通りました、そんな気分なのよね、だれもが。国が来たらお米の不足の騒ぎまでひとりで才覚しなくてはならぬ始末でした。国という人は永生き性よ。留守の間に二人分配給のあった米が、不足な訳はない、という根拠で、わたしが気をもんで苦心していても感じないか或は一言もふれないのよ。凄いわ。そして、自分は「田舎のおなか」で東京暮しをいたします。寿が逗留していたにしろ、寿は米をもって来るべきであり、従って来た筈であり、わたしが寿にお米なしでは駄目だと云えないということはあり得ないこと、なのね。そういう生活態度は何か憎悪を起こさせます。そして、こうやってあなたに毒気を吹きかけたくなるのよ、御免なさい。わたしは、私たちの生活上必要な一つの〔検閲で削除され不明〕だと考えてこういう生活もちゃんちゃんやって行こうと決心していて、それで大分辛棒いいのですけれど、まだまだね。どうしても毒捨袋の口がゆるんで、ついあなたに何か訴えてしまうから。
図書館ゆきのこと、金・土と実現不能で気にして居りましたら、目白の先生が昨夜見舞によってくれました。早速お手紙を引きくらべ
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