「日本のような大国が、事態変化に応じて直ちに連合国に協力し得るということは一つの驚くべきことだ」と云っている由放送しました。ロイテル通信によれば「外交問題専門家の見解はドイツと日本とは全く違っていた、日本はバルカンの事情により近似している」と云ったと放送がありました。そういう世界の声、眼がまぢかに伝えられるのが、一区切りすると、近松門左衛門作忠臣蔵の舞台中継、さもなければ講談などというものがあります。
 それらの間に挾って、わたしはそちらへの切符のことを思い、仕事を考えて居ります。
 わたしは、ともかくどうしてもそちらへ一度行かなくてはなりません。いろいろの用事や相談にのって頂きたいこともあって。
 いろいろの人が身のふりかた――身の上相談もあって。例えば、うちの知合で、芝のおじいさんがいたの御覚えでしょうか。その人の息子がわたしに会いたいのですって。これも身の上相談よきっと。就職についてでしょう。てっちゃんもあの勤めはなくなりましょう。わたしは、しかしいそいで上京し、たよりにならない相談対手を買って出ようとはして居りません。ともかく、そちらに行き、わたしは、勉強し書いてゆくことを益※[#二の字点、1−2−22]旺盛にしたく、身の上相談の先生になろうと希望していないこともお話したいと思います。
 仕事としてのスケジュールは又おのずから別です。仕事の点では十分計画をもってやって行きたいと思って居ります。当面、「昭和の十四年間」の後半二十年中旬までをまとめようときめました。これは不可欠な仕事です、日本文学が前進するためには、歩いて来た道を真面目に見直さなければならないのですから。
 中国文学研究会の仕事は消極的ではあったけれども『春桃』を出したりしていたのだし今後益※[#二の字点、1−2−22]有益な活動をしなくてはなりますまい。
 アメリカ文学の高い水準での紹介(ジャーナリズムは翻訳を氾濫《ハンラン》させましたから、或はそういう出版インフレ時代のホンヤク丈についてさえも玉と石とをふるいわけることも必要でしょう)批評も必要です。
 これまでの外務省式のやりかたは「紹介」に止って、それに伴った歴史的展望を欠いていて、いつも卑屈な商品見本のようでした。輸出文学をアメリカに送ろうとして失敗した例が現実にあるのですものね。十六年より前の「親善」期に。
 今日では、日本の文学の到
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