が足りなくておしいものも置いて来る気持は独特ね、わたしの子供の時代からの原稿なんかもそのままよ、灰になってしまうのよ。大事な去年頃の書類[自注20]だけはどうやら移動可能にいたしましたが、其とても全部は全く不可能でした。世界中の人々が、こういう思いをして居るわけです、国外へ急に出なければならなかった作家たちは、自分の蔵書を失う丈でも苦痛でしたろう。この頃生活上の訓練について一層思います。わたし位のものでも普通の婦人よりは遙に生活の突変になれ、突然の無一物に馴れているわけですが、どこかに在る、というのと灰になるというのとではちがうものねえ。人間がいよいよ精髄的骨格をつよめないと、失ったものが、其人にとってプラスとならずマイナスとなってしまうのね。物の不確さがまざまざとすると、わたしたちは、これから書くもの丈がリアルな存在という気がして、猶更真面目になります。
 きょうは、こちらも夏らしくなりました。そちらはどうでしょう。夏のないような夏を過していらっしゃるのではないかしらと思って居ります。緑郎はカンサスの何とか湖のキャンプへドイツにいた大使たち、近衛秀麿、スワネジ子たちと行ったようです。従弟で、フランスへ交換学生になって行っていたのはグルノーブル(スタンダールの生れた町)にいてシベリアを経て帰りました。緑郎について、生活ぶりについて、いつか私が心配して居りましたろう? やはり其処がピンぼけで、くっついてろくなことはなかったわけです。そういう気分でそういう目に遭うと、人間はなかなかましなものになっては抜け出ませんからね、惜しいことだわ。それにつけ、緑郎の細君が、ああいう生れの人だったことを残念に思います。社交的な一種の環境を外側から見る力はないでしょうからね。揉まれて妙なコスモポリタンが出来上っては人間としてローズものです。残留したということはマイナスに転じました。どうなって帰るかということには心がかりがあります。
 卯女の父さんは応召して長野の方へ行きました。卯女と母さんとは一本田[自注21]の田舎の家へ行くそうです。直さん[自注22]の細君が久しい病気の後死なれました。柳瀬さん[自注23]という画家が甲府へ疎開準備中新宿との往復の間、駅で戦災死されました。実に気の毒です。鷺の宮は相変らず。近所へ戸塚の母[自注24]と子が越して来ています。どちらも昨今は収入がないから
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