あるでしょうか。「古事記」の語りてはそういう愛すべきおろちは存じませんでした。

 七月十日 〔網走刑務所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(レスリー筆「黙想」の絵はがき)〕

 きょうは壕入りがいそがしい日です。こちらは小さい子や動けない子がいるので鳴動的ですが、全体から見ると、こわさは林町とくらべものになりません。小包をその合間にこしらえます。中華国語、三省堂日本地図・農民それに封緘十、一銭二十枚、二銭十九枚(これしかなかったのよ)村の司祭[自注16]はかりたと思ったのにありません。それにこうして見ると何と僅かの本でしょう。ほんとに何と少しばかりの本でしょう。ここでも感じますが、大きい自然の中では人間が押し出されたものが見たくて、たとえばセザンヌのような(人物)絵がほしいとお思いになるでしょう? 面白いことだと思います。

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[自注16]村の司祭――バルザックの「村の司祭」。
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 七月十四日 〔網走刑務所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(湯島小学校六年 デジママサコ筆の絵はがき)〕

 そこは三つ眺めとよむのね。きっと美しい三つの眺めのあるところなのでしょうね、そちらも地区によって名の系統に変化があるらしいようです。
 体の痛いのと、ガタガタで、東京へゆくのもすこしおくれますが、大奮発をしてそちらまで辿りつきましょう。その上でのんびりすることにしてね。ここに風呂がないのよ。わたしは東京であれ丈疲れて来たから痛みがおこって来たのでしょう。近所の爺さまの家の渋湯に入って、大いに一がんばりいたします。

 七月二十七日 〔網走刑務所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(封書 速達)〕

 七月十四日
 このところ、払暁から、紙やペンを、お見覚えのあの袋につめこんで空をにらむ日がつづきます。こちらは子供がいるし、全体としてぼんやり安全感があるせいか(うちのものは、よ。東京に比べたら、というところがあって)緊張も準備もぼやんとして肉厚で、妙です。このゆっくり緊張でも只今のわたしは辟易よ。脚のうしろがつれたり腕がつれたりして大分、ブリューゲルの何とか聖泉の病婦人めいた形で歩いているのに、やっぱりもんぺはくし、号令をついかけるし。きょうも、今まで横になっていて(午後五時)北方の空もおだやかになりましたからこれをかき出しました。
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