ひっかかります。スタンダールが其を気にしているのが同感されます。自分の場合だったらどうかしら。おなじみの伸子をつれて来る方が話しよさそうね。時代の相異も自分というものの観かたの角度もあって、わたしは自分を、時代の一人の女、それによって語られるその時代の生活という風にしか或モティーヴをもち得ません。スタンダールのナポレオン観のポイントは、いつもよく分らないのですが、これをよんでもまだ(第五章)よく分らないわ、何と判断しているのか。この中でも特長をなしている彼の考察[#「考察」に傍点]は、静的ね。そして、精密であるが情感を貫いて考察[#「考察」に傍点]されず「感情生活を考察する」、という風な性質のもので、それが彼の小説をパルムの僧院のようなものにするのだろうと思いました。情熱的でしかもその情熱をいつも不安に皮肉に監視しているのね。ナポレオン後の聰明さはそういう特長だったかもしれませんね。わかるようにも思えるわ。
 才智の萌芽の信じがたいこと、「何物も天才の予告とはならない多分執着力が一つの徴候であるだろう」というのは面白く思いました。最近こういうエピソードがあったのよ。わたしのところへ女の子で舞台監督になりたいひとが来ます。日本で、女で、この仕事をしたいというのは、丁度寿が、指揮者になりたいと思っているのと同じに実現のむずかしい願望です。山本安英に相談したりしてもやはりわたしが見当つけられる範囲しか見当がつかずとどのつまり戯曲をかきました。自分で一年ほど芝居をやって。はじめ書いたのは、対話でした。次のは少女歌劇じみていました。この間もって来たのは、チエホフ風の味で、しかも十分芝居になっていて、情感もゆたかでなるほど芝居のかける人はこういうものか、と素質のちがいにおどろき、よろこびを感じました、その娘さんは戯曲のかける人なのよ。そしてそれはやはりザラにはないことです。まだ二十三四なのよ。近代文学の中で婦人のドラマティストは殆どありません。岡田禎子なんか、会話や人の出し入れの細工が面白いという程度の作家だし。
 いろんなそんな話していたらばね、そのアキ子[自注15]さんがいうのよ、「わたしが(その人)芝居やめたいと思っていたら何とかさんがふっと女の人は逃げ道があるもんだからじきやめたがったりする。いつか先生が(これはブランカよあなかしこ)芝居の人たちにお話をなすったとき、よ
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