つまれているふとんざぶとん家財類。それは全然無性格よ。生活がそこに語られているとすれば、それは生存せんとする姿として在るので、生活意欲とは云いかねます。ふとんは誰でもねるし謂わば誰のでもよくて、この室に其がこうやって出し放されてあるという状況には、今日という時代、その間にこうして生存しつづける本能的な人たちが反映しているばかりです。わたしは、そこのタンスによりかかって「アンリ・ブリュラールの生涯」をすこし読み、本をおいて感じを新しくいたしました。わたしの気分には、この読み下せもしない詩史や聯にあらわされている生活意志というものに対する同感があり、その間にころがっている家財、ふとん類とが、その同感の邪魔として、又はギャップとしてうけとられると。わたしは、ここに納れない自分をむしろ祝福いたします。新しい環境は努力を求められますが、それは其なりに甲斐があって、ここのように家の在るところが村の特別場所だと同じような一種の特別的な隔離がありません。二ヵ月位すっかり休んで事情が許せば先へ移ります。もし早くなればもとより其が結構よ。ねえ。江場土に行って見て来た生活ぶりと何たる異いでしょう。ここで人間は成長出来ないわ。祖父が、謂ってみれば功成り名遂げて村からおくられた土地というようなものは、その位置が景勝であればある丈隠居ですね。でも凄じい時代の推移でこの東に向って地平線まで開いた廊下は、機銃に対してこわいところとなりました。角度がうんと大きいのですもの。あっちの方からだって、空から人が動くのが見えるのでしょうから。
「伸子」の中にかかれたこの庭は、今芝生の隅に壕がほられて、白いマーガレットが野生に咲いて居ります。きょう、わたしは杏の葉の美しい井戸端でもんぺと肌襦袢とを洗いました。あした着て帰るのに。又大汗をかくでしょう。戦闘準備よ。やっと国男が動き出します。切符の都合でどうなることか、わたしが一人先になるか、国と一緒に行けるか。一緒に行きたいと思います。帰るのは、こわく、しかしうれしいわ。心が休まるわ。でも、帰った時家がなかったらどこへ泊ろうねというような話です。親類たちも皆やけてしまったのよ。咲の兄、姉、従弟。本当に、どこに泊るのかしら。やけのこりの近所のどこかよ。今の東京を見たら国もすこしは活が入るでしょう。そして、自分の将来ということについてもいくらか真面目に考えるでしょう
前へ
次へ
全126ページ中62ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング