二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 五月二十日
 青葉雨というような天気になりました、薄ら寒いことね。袂[#「袂」に「ママ」の注記]がなかったりシャツがなかったりで、こういう冷気に一寸ぬくもりどころないようにお感じになっていることでしょう。人間の衣類には手と足との岐れのほかにゆとりのいるものだと思います。小鳥の羽根がこんな日にはふくらんでいるようにね。
 昨日の朝三時半に起きて、黎明の樹の下道を長者町の駅へ出て、九時前帰宅いたしました。一昨日申告して、昨日切符買えるようにしておいて。こんな一番で帰ったのは、空の安全のためと一昨夕電報がうちから来て、もう一刻もゆっくりした気でいられなかったからでした。キューヨーアリ イソギカエレ、とよむと、わたしにとって本当の急用は限られて居りますからはっとして十日間の休養一ふきでした、その前日空襲がありましたから。家の焼けるのなんかはものの数でもないけれども、ね。帰って、日暮里の道を下駄をわらないように重いものもってヨタヨタ来たらむこうから笑って来る男あり、其は菅谷君でした。何だったの? 電報、といきなり訊いたら、奥さんじゃ分らないかもしれないんですが、と、防火改修の支払受取の件なの。何だと思ったが安心いたしました。
 こんどの十日間は、わたしにとって実に名状出来ない効力がありました、先ず、という心持で、すっかりのんびりしたし、永年の生活が形の上で一変化する切かえを大変いい工合になだらかに切替えることになりましたし、それにもまして心に刻まれるのは、ああやって江場土で暮してみて、はじめて寿のいじらしさが何の障害もなく感じられて、謂わば妹一人とりかえしたようなしんみりしたよろこびがあります。東京に来ているときは、遑しいし第一、ここの家に対する苦しい反撥した気分(無限の親しさを拒絶されたところから来る)とわたしへの親愛、寿の目からみればのさばっていると写る菅谷一族への感情なんかが絡み合って、あのひとのこじれ皮肉になっている気分は、いつもわたしを焦立たせ彼女の下らなさを切なく思わせます。結局こんな人なのかと思いすてるようなところさえ出来ていたの。江場土のあの小さい葭簀を垂れ下げた家のゴタゴタの中で、寿は自分の生活としているから、そして今度わたしが行ったのは、寿にしてもそう度々くりかえされようとは思わない逗留でしたから、
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