実はその域を越して居ります。
そういう空気の中ですが、けさは小さい畑にホーレン草の種子をまきました。あしたの朝は不断草というのを蒔きます、朝の落付かない時間の仕事にいいし。
この頃は省線小田急なども時間で切符制限して居り午前六―九。午後四―七は通勤人でなくては駄目。汽車も回数券はなくなり、定期も通勤証明です。千葉の往復も大変になります。
この次の手紙は程なく書き、そして生活にいくらか上手になったことのわかるのを書きたいと思って居ります。
四月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
四月八日
もう梅雨のような雨でした。大笑いよ、わたしが朝飯前に畑へ種子を蒔いたりしたから忽ちだ、と。けれ共いい工合にこの位の雨であったら蒔いた種子が流れ切ってもしまいますまい。あんまり黒煙濛々たる手紙さしあげたから、すぐつづけて、マア其なりにどうやらすこしずつ手に入って、台所で煮物の番をしながら本をよむ気にもなって来たことを御報告しなければ相すまないと思いまして。
台所用の本(!)はトルストイとドストイェフスキーの細君たちのメモアールを集めたものです。やっぱり夫婦はこういうものなのね、トルストイの夫人はギクシャクなりに文章や考えの構えかたにスケールがあって、跛ながら旦那さんの風をついていますし、ドストイェフスキーの細君はひどく素直で、わたしわたしというところがなくて、書きかたは御亭主の小説の成功した部分のように一本の糸の味のあるうねり「貧しき人々」などの味に通じたところがあります。トルストイの細君はおそろしい位良人の内部を理解して居りません。こわい、熱烈な、大きいとさかの牝鶏よ、どっさりの子供を翼の下に入れている意識で牡鶏に向ってわめくところがあります、ドストイェフスキーの細君は、つつましいと表現され得る女のひとであるらしい様です。でも、今、一八七二年のこと、という章をよんで、胸うたれ、これを書きたくなりました。この年はドストイェフスキーは「悪霊」を書き終り、それによって彼のスラブ主義を完成したのですが、『市民』という月刊雑誌を或る公爵の出資で出しました。それの仲間があの有名な日曜日を仕組んだポベドノスツェフだったのですって。それを細君は、こういう人達と働くことはドストイェフスキーにとっても魅力のあることでした、と何の罪なく書いて居ります。ドストイェフスキーと
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