って来たと思いますね。全くトレンチ生活だったわ。捨てた城に一人いるようなものなのだもの。そういって笑ったのよ、わたしが今度こっちへ来たのはエポックになってしまったよ、もう林町の番をする気は沁々なくなった、と。林町へは国が一寸帰っても落付けず、ソワソワしているのも尤だと思います、こっちをみると。わたしは、当然こっちにいて国のように落付けず、たかだか休養の安らかさを感じ、こっちに落付くことには本然の抵抗があって不可能ですが、成城をきめておいて何とよかったでしょうと思います。
 月曜日にここから帰り、あれこれ用をすまして、成城へ行きます。ここへ来るのはわたしにとって、いつも何か意味のある時であるのも面白うございます。自然描写たっぷりよりも、こんな手紙になるのだから、今の時勢ね。又、来てからまだ門の外へ出ないのですもの、裏山の方やおけさ婆さんの方の景色のお話ししようもないのだけれど。
 おみやげに草履がありそうよ[#「ありそうよ」に傍点]。但、ありそう[#「ありそう」に傍点]というところに御留意を。夕方、咲が自転車で町の入口のその店まで行ってくれますって。あればうれしいことね。さし当って何よりのおみやげね、わたしの休めたことの次には。
 きょう位工合よくここの空気がきけば、明日明後日とよほど休めるでしょう。そして、その下地をなくさないうちに、成城ですこし丈夫さをためこもうと思います。かえる迄にはもう一度かくでしょう。暑いけれど、ここはカラリとして凌ぎようございます。
 どうぞお大切に。一人でこの空気を、と思うと。だからいやよ、ね。

 八月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(郡山市街全景の写真絵はがき)〕

 こういう風な街の上に、朝からブンブンです。どこへ行っても、ね。
 荷風はラジオを逃げて引越ししたそうですが、雲のみの空ぞ恋しき安積山。よ。安積山は万葉にも出て居ります、その山が、こうして書いている茶の間の北手に見えます。今はボーとしていますが。汗と埃と心労でかたまった面《メン》が一重顔からはがれて、生地が出て来たようです。

 八月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(封書)〕

 八月十三日
 きょうは、こちらの盆の入りです。田舎のお盆ということをすっかり忘れて、急だったので土産ももたずに来て、ハア、百合子さん来なすったけエで、些か
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