こに期待するしかないようです、
 こういう風にして、自分[#「自分」に傍点]を益※[#二の字点、1−2−22]捨てて行く心もちから、芸術家や科学者の才能が更新され、若がえるというのは、不思議な面白さね。自分に執しているものは、自分より大きく成長出来なくて、つまりは世俗の成功だの不成功だのという目やすに支配され、とどのつまりは世俗の日記と一緒に歴史のつよく大きい襞の間にまぎれこんでしまいます。山本有三という作家が、主人公に芸術家も科学者も扱い得ず、教師をつかまえるのは雄弁な彼の人生のリミットですね。

 六月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 六月三日 土曜日
 きょうは、思いがけないことでわたしの時間が出来ました。国が、急に国府津の家の件で、役所の人とあっちへ出かけ、朝八時四十分で立ちました。けさは六時におきて台所へ出ました。珍しく八時すこし過にひとりになったので、この時と、早速郵便局へ出かけそちらの書留や小包送り出しました。本、一冊しか今手許になくて御免なさい。『療養新道』の方は、多賀ちゃんにきいてやったまま、ついそれなりで。多賀ちゃんも忘れてしまったのね、すぐハガキかきましょう、又。ついでにケプラーお送りしておきました。
 きょうは、三時頃に太郎と咲が来ます。太郎は、農繁期休暇二週間のうち、半分だけはお父さんの顔を見て来なさいと云われた由。夏の休みなんか全く当になりませんから、いいでしょう。子供の頃一夏ハダシ暮しして、東京へ帰って来るとき、次第に上野が近づく心持、家へ入って来るときの心持、あれを太郎が味うのだと思うと、面白く、笑ましい気持です。それは非常に新鮮で、人柄や感情を豊富にするし、抑揚を与えるようです。太郎すこしは大まかにゆったりしたかしら。たのしみです。健ちゃんがウマウマと云うようになって、ヨチヨチかけ出すのですって。可愛いこと。実にみたいわ。立つ朝、小鳥のカゴにだきついて(よく見たくて)餌こぼしたって親父がにがり切って、それも忘られませんが。馬糞が草道に落ちていると、太郎がいち早く、健ちゃんこれなアに、ときくんだって。すると、たどたどしい頬っぺの赤い健坊が、ウマウマと云うって大笑いよ。食べるあのウマと馬のウマと同じにこんぐらかって、つづけてウマウマと出てしまうのね、健坊は、陽気で、人なつこくて生れながら愛嬌をもって居ります、どんな
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