した。そして、けさは、私の目の前に(そのときわたしは食堂の椅子にかけて、あなたのネマキのつぎを当てていたの)ハイとお手紙出してくれました。おや。一人? うらまれそうだと云ったら、僕にも来てる、自転車がついたって、というような工合でした。わたしのつめてやる弁当をもって只今出かけたところです。
 咲が来て下旬一杯居りましょうが、その間に、家の大半をあけわたすための片づけをやる由です。
 達治さんが折角上京するのに、ガタついて気の毒ですが、それでも妙にせまくるしく暮すようになってからよりはいいだろうから、本月下旬だといいと思って手紙出しました。大体の方針では、今わたしの使っている二階全体と蔵の前の六・四半と、洗面所、便所、湯殿と一かたまりに仕切って、そこで台所も出来るようにして、私と国とが暮し、表側全部を開放することになりましょう。この仕切りかたですと、下の二間で、国咲がまとまれるし、上は私が、私一人で勉強もし、ねることも出来、一寸した一人の食事は出来るし、けじめがあって、ようございます。わたしは、やがては、もっと時間をとって仕事も勉強もしとうございますから。一人のときは主として二階で書生流にやれたら手間も省けてうれしいと思います。疎開の家族は、気が立っていましょうから、受入れる側が普通の家庭の形式を保っていて、夫婦、子供と揃っていたりすると、細君同士、旦那同士の感情がむずかしいでしょう。うちのように、姉弟で、あっさりやっていると、比較してこっちはこんな落付かないのに、あっちは水入らずでのんびりというようなことがなくて。十何年か前、一つ建物の中に人はどんなに暮すか、という共同生活の大典型を見ているから、その欠点も、やりかたもいく分合点していて、それは、こういう生活様式の大変動に当って、少なからず私の自信となって居ります。「井戸端の移動」式にならずにやる確信があります。ただ、電気、ガスなどのメートルが、共同だと、モン着はそこからでしょうね、困ったものね。昔、大銀行だった大建物の廊下に並んだ一つ一つの夥しいドアが、其々一つずつ木箱とケラシンカ(石油コンロ)を並べて、眼路はるか、という風に見えていた都会生活の姿を思いおこします。
 国はいよいよ事務所を閉鎖いたします。それがたのしみで、上機嫌よ。やめるのもいいが、のんびりして、国府津だ、開成山だと廻って暮して、つい二年経ったとい
前へ 次へ
全179ページ中60ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング