なりました、体もいくらかよくなって来ているのでしょうね、頭が動くところを見ると。こうして、そろそろと焦らないで、仕事が出来るようになるでしょう。
そう云えばこの間原稿整理していて、祝い日のためにの詩ね、あれをくりかえしよみました、びっくりいたしました。あれは本当に、半ば盲の妻の作品ですね、そのひたすらなところ、思いこんだ調子、確乎さ、立派なところがなくはないが、何と流動性がないでしょう、可哀そうな一心さがあります、健康というものをおそろしく感じました。哀れと思っておよみ下すったのが、今になって自分でわかります、あのときは精一杯でそれは分りませんでしたが。ああいう凝りかたが直ったら、現金ね、わたしはもとの散文家になってしまって、しかし、目出度しです。あの詩はレンブラントの絵のような重い明暗があり、赤い一点の色彩が添えられて居ります。それにしても、本当に何と眼が見えないという感じ、手さぐりの感じ、周囲というもののない感じでしょう。よい記念品だと思います、あんなにわたしは苦しくて、見えなくて、じっと動けなかったのね、可哀想に。
然し今は、青っぽい筒袖のセルを着て、紺の大前かけかけて、青葉の色よりすこし水色っぽい更紗の布で頭包んで、とにかく小さいシャベルふるって土も掬って居るのですもの、えらい進歩であり、生きる力は大したものだと思います。そう思うにつれ、こうして自分が生き、癒りして来た力はどこから湧いているかと考えざるを得ません、わが命の源《みなもと》は、と、おどろきを新たにいたします、アダムの肋《あばら》から生れたなんて、西洋人も想像力が足りないことね。リルケは、それを疑問の詩をかいて居ります。もし肋なら、こんなに生きて、こんなにあつくて、こんなに欲ばりの生きてとなったイヴをもう二度と横はらへしまってやることなんか出来ず、あわれイヴは、のたれ死によ、ね。横はらを枕にさせてやれるのが精々で。命の源は、一つのいのちのその中に、まるっこで在るのです。だから大変よ。どうちぎることも、便利なようにちょん切ることも出来っこありません。
もう十一時よ。寿どうしたのでしょう、あの、うらぶれ部屋で工合でもわるくしているのじゃないかしら。
ワンワン吠えるのでガラスのところから見たら白いブラウスが見えました、まあよかった、待人来るです。
久しぶりでゆっくりおひるを食べさせて、今そこの
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