時から、私たちきりだったのですが、六時すぎまで歯医者のところで握った掌に汗をかいて来たのよ。夕方の街を歩いて、いつもの古本や見ます、歯をがりがりやった気持があまり閉口だから。きょうは、リルケの果樹園という詩集と、レンズのツアイスね、あれのガラス工業の完成に着手したルネッサンス頃の祖先の歴史をかいた小説見つけました。お金が足りなかったから、月曜日、歯医者のときとることにしました。お読みになれそうなものです。そういえば、活字のグーテンベルクの伝はまだおよみになって居りませんね、一度よんでよいものです。
 そして家へかえると、犬が躍り上って歓迎します。躍り上る犬は女の子だのにさっぱりとして快活で男の子めいていて気に入って居ります。その次の仔が出来てね、その仔ったら又真黒と真茶のコロコロの本当の犬っころです。まだ縁の下にいて、さっき北の中庭の木戸の中にいるのを呼んだら、熊がウンとかワンとかいっていそいで引こんでゆきました。その丸さったらないの、全く今時、こんな仔犬は珍しいわ。きのうだったか、さすがの主人公が小さい声して姉さん一寸、一寸と手招きするから行ったら、可愛いよって。そういう位可愛いのよ。健之助がいないからこんな仔が可愛くて。家鴨の仔を買いたいけれど、餌が大変だというから考慮中です。熊もクリ(栗)も、到って器量がわるくて、又その不器量さったらないのも大笑いです。
 わたしが、本好きであるということは、畑にとっての不幸事です。やれ、と腰かけるでしょう? わたしは絵の本を見るか、何となしものを考えているの、で、一休みしたら、小シャベルもって出かけるという風にゆきません。ですからわたしの畑は大陸的になって、日本の集約耕作とは行かないわ、ちまちまちょこちょことは行かないのよ。これは家庭園芸には欠点で、マメであるか慾ばりであるかする女がいなくては駄目そうです。天地の勢に一任していたのでは、そこがせち辛くなって来ていて、うまく行かないらしいのよ。こまりです。畑いじりつつ、ものを考えるほど畑仕事に習熟していないというのも事実ね。台所はすごいことになって、一旦その気にさえなると、御飯の仕度が出来上ったときは準備でちらかっている台所が片づいているという上達ぶりです。わたしは国男さんにきょうも申しました、「国男さんが一番得しているのよこんなにゆっくりした、仕事に追われない気分で家のことを
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