につぶせないからしがみつく、そうとばかりでない執着もあるわけです。
これからもいろいろの場合、あしからず御承知下さい、と手紙の文句なら書くようなことが屡※[#二の字点、1−2−22]あろうと思います。そういう場合、いつもあながち最少抵抗線を辿る心持からだけ出発しているわけでもないということがわかっていただけて、私は一層平静に、従って落付いて考え乍らやってゆけるというわけになり、そのためにすこやかさを喪わないですみ、展望を失わないですみ、重吉の千石船たるを失わない結果になれると信じます。
私たちの経済のことで、春の終りに長い手紙さしあげたことがありました。あれは全く私に一つの基本的なことを学ばせました。私たちの生活のやりかたについて。あなたが、私の半病人風にせきこんで気を揉んだ処理報告に対して、自然な疑問をはっきり出して下さったので、私はこまかに何年も前のいきさつを思い出し、整理し、そして、自分が、あの頃はあなたの言葉に必要以上おどろいたり怯じたり絶対にうけとったりして、その為に現実のいりくんだ半面だけであなたに対し、あなたと自分とを迷惑させたとよくのみこめました。もう二度とああいうことをくりかえさないようにと思います。お気に入ってもいらなくても在ることは在ることとして、私の考えや、やりかたをあるとおりいつも知っておいて頂くことが何より大切です。ましてこの頃、そしてこれからのような時節には、一見すじの通らないようなあれこれの間をかいくぐり、かいくぐりですから、私はあるとき全く我流の泳ぎかたをして、どの水泳の術にもないバタバタで、渦をのりきりもするでしょうから。クロールでやるものだよと云われ、そうねと云い、しかし手足は妙ちきりんにうごかしてでもやっぱりここへ出たわ、というような可笑しいこともきっとあるでしょう。内在的なものにたよりすぎることは芸術家にとって危険であり発達を阻みますが、自分にそこがどうやったら通りぬけられるという身幅と空間の知覚のかね合いなんかやっぱりかん[#「かん」に傍点]にもよるのでしょう。
寿江子へのおはがきありがとう。返事を上げなければ、失礼[#「失礼」に傍点]だわねとよろこんで居りました。石ケンのこと、お送りいたします。
この頃は単衣を灰水であらっている始末です。大した石ケン不足で配給は日常の用に足りません。もしかして島田の方ですこしは何とかならないでしょうか。おついでの折お母さんにおきき合わせ下さい。あなたの御用が三度に一度あちらからみたされると大いに助かりますから。『独語文化』又きき合わせます。
岩本のおばさんが、絢子さんのところへ(結婚した)来ているとかで、うちへいらっしゃりたい由です。世田ヶ谷北沢の明石方としてありますが、明石って、大阪の明石という鉄道会社の社長か何かの娘夫婦のところでしょうか。この頃はおもてなしもむずかしいし、私はまだこんなで正直のところ気がおけますが、あのお年での御上京ですから近日中いい日を見つけて一日お出で願い何とかいたしましょう。ペンさんでも手つだって貰って。(うちに人手も不足だから)闇暮しでいるうちに泊ったりしていらっしゃるお年よりを、今の普通の条件でおもてなししなければならないのは全く辛いわね。そのお年よりの気質とものの話しかたを知りぬいているから閉口頓首、千石船もチリチリです。滑稽でしょう? 御亭主の顔にかかわっては一大事と、女房奮戦せざるを得ません。もしかしたら御一緒に山崎の周ちゃんもよんだらどうかしら。こま[#「こま」に傍点]が合いますまいか。どうせ、うちの連中はこういう人たちでそういうお義理のおつき合いには役に立たないのだから。星出というひと、島田のお母さんの御上か下かでしょう? そこの息子が目黒かどこかの無電学校に来ていて、よく来たいと云って来るのですが、些か敬遠でいるから、そんなのでもこの際一緒にして親戚話を東京に移動させたらいいかもしれませんね。東京ではいいことだけを期待して来るお客様は実につらいものです、お察し下さい。こういうときは沁々一人がいやよ。せっせと働いて、あなたどうぞと、お願い致したいと思います、そしたらどんなに気が楽でしょう。細君というものは、変なところで気が弱くて可笑しいものでしょう? これが即ち細君よ。
星出さんの息子は一《ハジメ》というのです。中條を何度直してやっても中将とかいて来るのよ。そういう学校が東京にだけあるのではないでしょうし、やっぱり東京へ出しておくというところに親の情愛があるのかもしれないが、あのゴタゴタの渋谷辺うろついて、と思います。いい身分なのね、でもきっと下宿で、さぞおなかのすくことでしょう。うちは丼に盛りきりの御飯で、来月からはそれも不足で私はペンをやめなければいけないかも知れません。この頃はバターもなかなかありません。段々丈夫になってよく勉強すると、私はおなかのへるたちだから間に合わないと苦笑ものです。
さて、これからすこし横になり、休み乍ら御接待方法を思案いたします。年とった人が結核になるというのは、やはりあり得る事情ですね。疲労を蓄積させないこと、規律ある生活すること、これが今のような営養不足の時の第一で、休んで補うしかありせん。それにつけても私が今半病人なのは、不幸を幸に転じることかもしれないと思って居ります。丈夫と思えばこんな生活は出来ませんものね、では又。
六月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(セイロンの仏教徒の写真絵はがき)〕
十八日のお手紙二十一日頂きました。『文芸春秋』まだつきませんか、先月末に送ったのに。本と別に送ること承知いたしました。『独語文化』は、直接日光書院に申しこみ、五月号と(六月号は売切れ)七月からずっとこちらへ送るよう致しました。三年前から出ているのですってね。封緘は全く苦笑ね、そちらでむつかしいとき、こちらも買えなくてさわいだのでした。もうやめましょうよ?
六月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(佐伯祐三筆「貧しきカフェー」の絵はがき)〕
六月二十一日
栗林さんの受取りを、きょうさがしたのですが、どうもしまい忘れたらしくここぞと思うところになくて悲カンしています。しまい忘れということをやったのね、隆治さんの所書き式に。クマのように、そのときやたらに失くすまいとして、妙なところに入念にしまって、もう次の日ぐらい忘れてしまったのだわ、些か我ながら哀れです。あすこはルーズだから、その時の分と云って果してわかるかどうか気がかりですが、ともかく計らって見ます。
六月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(石川確治筆「七面鳥」の絵はがき)〕
今薬をのんで思いつきましたが、そちらまだオリザビトンが間に合って居りましょうか、メタボリンこの頃入手むずかしくそれでもあなたが御入用でもいいようにしてあります、きのう島田からも送って頂きましたし。どうか早いめにお知らせ下さい。きょうのお手紙に交通杜絶とあり全くそれに近いわね、御免なさい。私がやきもきするの、小さな気だとお思いになっていたかもしれないけれど、実際の事情とお分り下さるでしょう?
六月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
風邪気で床にいるうち、岩本のおば様が孫さんをつれておいでになりました。お年よりはお思い立ちになると、待ったがないのね。もう足かけ三年お会いしないのに、七十歳で全くお元気でしゃっきりして、ちっともふけていらっしゃらないのにびっくりしました。孫さんというのは、昔小さいときオルガンをひいてあなたにほめられたという娘さんよ、十九で、去年明石という応用化学出の人(鹿島高工)と結婚し、その人が応召で十條(王子)の工廠づとめなのですって。幹部候補から少尉になっている由。おばさんも孫さんも満足して暮している様子で何よりでした。十時半頃から来られ、咲枝が国府津へ行くと大騒ぎのなかを、どうやらおひるを仕度してそれでもよくあがりました。三時すこし前おかえり。いろいろ親類の話が出てめずらしい噂伺いました。岩本さんは三田尻とどことかの間の校長になられ、一家そちらに引越したのだそうです。この間の洪水のひどかったところで、壁に三尺も跡がある由。米屋に一時間もかかるところ。しかし飛行場が出来たりして、光とおなじような場所になるのだそうです。岩本さんではあと女学校四年の娘、六年生の娘、四つの男の子という順だそうです。
周ちゃんのところではお姉さんでしょうか岩本さんという人にお嫁入りした足のわるい方。その方夫婦がこの節は一緒らしいのよ。すすむさんというお兄さんは、徳山の井村さん(銀行の人)の親戚で只一人娘さんだけのこった家へ養子に行ったそうです。お金はあってなさそうじゃとのお話。
周ちゃんをよぶとか云っていて、その様子ではふさわしくもないでしょうから、おばさまいらしてようございました。
どこも御案内が出来ないが、孫さんと二人で観て下さるよう歌舞伎の一等二枚奮発して、お土産話の種にいたします。そして、七月初旬おかえりというからそれ迄に田舎へのおみやげをもって行きましょう。東京でみると、あちらの女の人たちはみんな周ちゃんに似て線が太くてかっしりね、多賀ちゃんもそうだったが、それでもほかの人たちの方が健康のせいかもっとかっしりと線太で面白く感じました。北の方の人々は地の柔かい深さを感じさせ、あちらは、石の切り出した厚みを感じさせ、そのちがいも面白く思われます。人の性格かと思ったけれどもっとひろい共通性のあるものなのね。岩本のおばさまったら、私が丁度いい位にやせたと、島田のお母さんに云っておこうとお笑いでした。でも私は、もっと円くなる予定ですし、そうでないと十分の体でないのだから、見合わせて頂きたいと笑いました。おとしよりの方は、私の円いのに心ひそかに恐縮していらっしゃるのがわかって全く可笑しい。わたしが、ハアハア笑って、一向結構という風で円くているから、苦情も仰言れなくて、何とお可哀そうなことでしょう(!)おや、雨が降り出しました。もう五時近いからおつきになったでしょう。下北沢でおりるのですって。
珍しいお客様でお話がこまごまとしているから私は疲れました。それでもいろんな噂が珍らしくてこの手紙さしあげます。大阪の明石さんでなかったから大助りよ。まともな配給で毎日暮している人でなくては話にもなりませんからね。それでも軍人さんだから世間にないカンヅメが買えるというのでおみやげに鮭のカンヅメ頂きました。この頃一般の人はこんな大きい円切りの鮭カンなど見たこともありません。
昨夜はヴェルハーレンのかいたルーベンスの伝記、活字が大きいので読んで面白うございました。ルーベンスの偉大さと美しさと無意味さが公平に見られていて、この詩人が一方でレンブラントを書き、優れたレンブラント伝とされているのも興味があります。ルーベンスの浅薄さとよろこびの横溢を理解してその対蹠的芸術家として真の大芸術家としてレンブラントを書いているのです。
白樺の人たちがレンブラントを紹介し、日本ではゴッホとレンブラントは云わば文学的に崇拝されています。しかし、レンブラントにせよゴッホにせよ、そういう崇拝は、自分たちにないものへの安易な崇敬として評価されているのでしょうか。自分たちの可能の典型として愛し尊敬しているのでしょうか。私はよくこの疑問を感じます。煩悩の少い、テクニカルなことに没頭したり、フランス亜流に彷徨したりしている人々に、どうしてこういう芸術家たちが、体と心をずっぷりと人生の激浪の底につけて、そこから年々のおそるべき鍛練によって我ものとつくり上げて来た芸術の不動な真実をしんから理解出来ましょう。ベルハーレンが、レンブラントの描く人間はいつも窮極においてのっぴきならぬ情熱のどんづまりにおいて描かれている。決定的なものだが、ルーベンスなどはそういう人間のつきつめたもの、その真実、そういう永遠性はちっともないと云っているのは本当ね。ルーベンスの画集は裸体であふれていて、それを切りとったら
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