をかいて、日蓮へ移りました。チェホフの時代ペシコフの初期に、ニイチェが流布したという話です。樗牛が美的生活というよび名で表現したものがニイチェのよまれる生活の根底にあってのことでしょう、今日の流行も、ね。
 ワグナアはニイチェと親しかったけれども、オペラをつくって、王フリードリッヒに、統御の方法として音楽による馴致は有効であると建言して、自身のオペラを隆盛ならしめるようになってからは、ニイチェを邪魔にしました。原因はニイチェが馬鹿正直で、ワグナアに忠実で、心から賞め、心から批評するのが、策略にとんだワグナアにはありがためいわくになったからだそうです。ワグナアが真面目を発揮して、秀吉に対する千利休より遙かに外交的、政治的、従って非芸術的に処世して宗教オペラなどこしらえるので、やはり段々真面目を発揮して来て、バイブルは手袋なしには読まれない、余りきたないから、と云うようになったニイチェが、お前さん正気かと心配するという有様で、ワグナーは、凡俗人の数でオペラを支えようとしているから、常識に挑むニイチェは不便になりました。そしてうんと冷やかに扱い、ニイチェが傷ついてワグナアの顔を二度と見るに耐
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